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四字熟語_漢字検定1級レベル_意味から熟語-2_フラッシュカード

漢字検定1級レベルの四字熟語フラッシュカード
意味から熟語を当てましょう!

人間の欲望は尽きることがないということ。 「蜀」は中国の地名。 後漢の光武帝が望みを叶えて、隴を手に入れたが、次は蜀が欲しいと望んだという故事から。

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人からの励ましを受け、努力して学問や道理の奥深くを理解していくこと。または、身に切実なことだけを考えること。または、文章などがしっかりと考えられていて、深い意味が込められていること。 「鞭辟」は馬車の御者が鞭を打ち鳴らして、その音で人込みを切り開くこと。 「近裏」は内側という意味。 鞭を打ち鳴らして、人込みを掻き分けて、人込みの内側に馬車が入っていくということから。 「鞭辟(べんぺき)して裏に近づく」とも読む。

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険しい岩山と深い谷が続く景色。 「巌」は険しい岩山。 「壑」は深い谷。 「千」と「万」は数が非常に多いことを言い表す言葉。

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身分の高い女性の寝室のこと。 「翠帳」はかわせみの緑色の羽で飾りつけた緑色のとばり。 「紅閨」は赤い色に塗られた寝室という意味。 高貴な家に生まれて大切にされた女性の生活のたとえ。

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現状に満足せず、学識に磨きをかけて、さらにすぐれた人材になること。 「鏃礪」は矢の先にやじりをつけて、それを研いで鋭くすること。 「括」は弦を受ける矢の部分、矢筈。 「羽」は矢羽。 竹にやじりや矢筈、矢羽をつけて矢を作るという意味から。

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兄弟や友人との仲がとても良いこと。 「対牀」は寝床を並べるという意味。 夜に雨の音を聞きながら寝床を並べて仲良く眠ることから。 「対牀夜雨」ともいう。

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たくさんの資料や例を引用して、しっかりとした証拠を出して議論すること。 「博引」はたくさんの資料や事例を用いて説明すること。 「旁証」は証拠となるものを出して見せること。

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飾り気のない素朴な家のこと。 「茅屋」はかやぶきの屋根。 「采椽」は手を加えていない切り出しただけの材木のこと。

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いつでも戦いができるように準備を怠らないこと。 「戈」はほこ、武器のこと。 「旦」は夜明け。 武器を枕にして、いつでも戦える状態を保って夜明けを待つという意味から。 「戈(ほこ)を枕にして旦(あした)を待つ」とも読む。

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昨晩。昨夜。前日の夜。 「疇」は過ぎた時間を言い表す言葉。

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船を住居にして水上で生活すること。または、漂泊して生活するという意味から、一定の住居に留まらない隠者の生活のこと。 「泛宅」は水の上に浮いている家ということから、船のこと。

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戦場で慌しく走り回り、忙しく軍務を行うこと。 「戎馬」は戦争で使うための武器と馬。 「倥偬」は非常に忙しいこと。

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男女が同じ布団で睦まじく寝て、情愛を交わすこと。 「衾」は布団や夜具のこと。 同じ布団で枕を共にするという意味から。

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学問、精神、人格などを努力して磨き上げること。 または、同じ目標を持つ友人同士が競い、励まし合って互いに向上していくこと。 「切磋」と「琢磨」はどちらも学問や精神、人格などを向上させるという意味。 「切磋」の「切」は獣の骨や象牙などを切り出すこと。「磋」はやすりやかんななどで磨き上げること。 「琢磨」の「琢」は槌とのみで宝石や石などの角を削って形を整えること。「磨」は砂と石を使って磨き上げること。 「切瑳琢磨」とも書く。

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東にある、太陽が昇るとされる地方。 または、日本の異名。 「榑木」は太陽の昇る場所にあるとされる神木の名前で、この神木から太陽が昇るとされている。榑木は扶桑(ふそう)ともいう。 「扶木之地」とも書く。

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思うまま好き勝手に悪事を働くこと。 「放」は好き勝手に振る舞うこと。 「辟」はかたよること。 「邪」は道理にはずれた正しくないこと。 「侈」は相手を見下して高慢な態度をとること。

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互いに深い関係で繋がっていて、一方が滅びるともう一方も危険な状態になること。 「脣」は唇のこと。 唇と歯は互いに助け合う関係であり、唇が無くなると歯は寒くなるということから。 古代中国の虞の宮之奇が、虞とカクの国の関係をたとえていった故事から。 「脣(くちびる)亡(ほろ)びて歯(は)寒し」とも読む。 「唇亡歯寒」とも書く。

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世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。

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調子にのって横暴な態度をとっていたが、急に態度を変えて、相手にへつらうようになること。 「倨」は偉そうな態度をとること。 「恭」は礼儀正しく丁寧なこと。 中国の戦国時代の遊説家の蘇秦は、諸国を放浪して貧しくなって故郷に帰ると、家族は偉そうに馬鹿にした態度をとった。 蘇秦は、その後に六国の宰相になって故郷に帰ると、家族は腰を低くして丁寧に迎え、媚びへつらったという故事から。 「前(さき)には倨(おご)りて後(のち)には恭(うやうや)し」とも読む。

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悪人などが我が物顔で好き勝手に振舞うこと。 「跳梁」は跳ね回ること、「跋扈」は大きな魚が仕掛けた罠から飛び跳ねて逃げる様子のことから。 「跋扈跳梁」ともいう。

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性格が大らかでさっぱりしていること。 「海闊」は広大な海のこと。 「天空」はすっきりと晴れ渡る広い空のこと。 「天空海闊」ともいう。

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政府が米を豊作の時に買って保存しておいて、凶作の時に安く売ること。 「糶」は穀物を売ること。 「糴」は穀物を買うこと。 「斂」は集めるという意味。 「散」は配布するという意味。 経済政策の一つで、中国の春秋時代の斉の宰相の管仲に始まったとされ、米市場に適切に介入して、価格を安定させることができる。

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天子や貴族などの地位の高い人が乗る船。 「鷁」は中国の想像上の水鳥で、強風の中でも難なく飛ぶことができるので、水難避けとされている。 竜や鷁の頭の彫り物を船首に飾りつけた二艘で一対の船で、平安時代から室町時代に祭礼や宮中の行事、貴族の水遊びなどで使われていたとされている。 「竜」は「りゅう」、首は「す」とも読む。

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危険なことをして大きな利益を得ること。 または、すぐれた文章を作ることや、試験に合格することのたとえ。 「驪」は色が黒いことで、ここでは黒い竜のこと。 黒い竜の顎の下には高価な宝石があり、食べられてしまう危険を冒してその宝石をとるという意味から。 「驪(り)を探(さぐ)って珠(しゅ)を獲(う)」とも読む。

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悪人が政治の権力を握り、世の中が悪くなることのたとえ。 または、悪い家臣が君主を惑わして善政が行われないことのたとえ。 また、悪人が善人に被害を与えること。 「浮雲」は日の光を遮る雲ということから悪人のたとえ。 「翳日」は日の光を覆い隠すこと。 「浮雲(ふうん)日(ひ)を翳(おお)う」とも読む。

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尋常でなく急ぎ慌てること。 「被髪」は束ねずに乱れた髪の毛。 「纓冠」は冠の紐を結ぶこと。 乱れた髪を整えずに、そのまま冠の紐を結ぶという意味から。

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壁のような険しい崖が高く立っていること。 または、仏教語で真理を得るための道のりが非常に険しいことのたとえ。 「仞」は古代中国の高さや深さをあらわす単位のこと。

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不当な行いで得た財産は、同じように不当な方法で出て行くということ。 徳にそむく行いをすれば、道理をはずれたやり方で罰を受けるという意味から。 「悖(もと)りて入(い)れば悖(もと)りて出(い)ず」とも読む。 似ている四字熟語の「悖出悖入」は別の意味の言葉。

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梅の花のこと。または、清く澄んだ心を持った人のたとえ。 梅の花は雪の残る冬の終わりに、白く美しく咲くことから。 「氷姿」は「冰姿」とも書く。 「雪魄氷姿(雪魄冰姿)」ともいう。

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政治的な思想の一つで、天皇を崇拝して、他国の勢力を排除しようとすること。 「攘」は追い払うこと。 「夷」は異民族のこと。 元は別々の尊王論と攘夷論の二つが一つになって、江戸時代の討幕運動の中心となった。 「尊王攘夷」とも書く。

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船の船尾に次の船の船首がくっつくような間隔で、どこまでも連なっていること。 または、そのように船団が進む様子。 「舳」は船首、「艫」は船尾、「千里」は距離が非常に長いこと。

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人が生まれながらに持っている権利を侵すこと。 または、憲法で保障されている、国民が人らしく生きるための権利を国家が侵すこと。 「人権」は人が生まれながらに持っている、人らしく生きるための権利。 「蹂躙」はふみにじること。侵害すること。

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理論などを自らの力で実際に実行してみること。 「実践」は実際にやってみること。 「躬行」は自分の力で行うこと。 口だけではなく実際にやってみることの大切さをいう言葉。 「躬行実践」ともいう。

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書画や文章に勢いがあることのたとえ。 「鶻」は鳥のはやぶさのこと。 うさぎが巣から素早く飛び出したり、はやぶさが急降下しながら獲物を捕らえたりする様子にたとえた言葉。

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根拠のない噂話のこと。 「流言」と「蜚語」はどちらも世の中に飛び交うでたらめな話という意味。 「流言飛語」とも書く。

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何の罪も犯していない人たちのこと。 「無辜」は罪が無いという意味。 主に天災や人災などに巻き込まれて苦しめられる人々のことをいう。

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法や道理に従わないこと。 または、非常に無礼なこと。 「埒」は乗馬をする場所の囲いのこと。 「不埒」は埒から外れるということから、法や道理から外れることをいう。 「千万」は普通の程度を甚だしく超えていることを言い表す言葉。

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弱者が身の程も知らずに勝ち目のない強者に立ち向かうこと。 「螳螂」はかまきりのこと。「斧」はかまきりの前足のこと。 斉の荘公の車に、かまきりが前足を振り上げて立ち向かってきたという故事から。 「蟷螂之斧」とも書く。

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螻蛄(けら)や蟻(あり)のような小さな生物のように小さな誠意という意味。 自分の誠意を謙っていう言葉。 「螻蟻」は螻蛄と蟻のこと。

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趣味などに夢中になって、やめられなくなること。 または、悪い癖が出て手がつけられなくなること。 元は病気の症状が悪化して、治る見込みがなくなるという意味から。 「膏肓」は治療のための鍼や薬が届かない、体の奥深い部分のこと。 「病膏肓に入る」という形で使うことが多い言葉。

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ぼろぼろの服、乱れ放題の髪のことから、身なりが汚い様子。 「敝衣」はぼろぼろの服。 「蓬髪」は乱れ放題でよもぎのような髪のこと。 「弊衣蓬髪」とも書く。

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痛切な訴えのこと。 「膚受」は切りつけるような痛切さのこと。 「愬」は不平や不満を訴えること。 気づくことなく垢がたまるように、少しずつ人を偽り、傷つけていくという意味でも使われる言葉。

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黒くて美しい髪の毛のたとえ。 「霧鬢」は墨のように黒くて美しい髪。 「風鬟」は風でなびく美しい髪。

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よい評判がなくなって、評判を元に戻すことができないこと。 「声名」はよい評判。 「狼藉」は散らかっていて、取りまとめることができないこと。 悪名が広がりすぎて、どうにもならない状況をいう言葉。

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意志と行動が別の方向を向いていて、互いに反していることのたとえ。 「轅」は前進する方向に向けられるかじ棒のこと。 「適」はその向きに行くこと。 かじ棒は北を向いているのに、なぜか南にある楚の国に行くことから。 「適楚北轅」ともいう。

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美しい女性や賢い人の死をたとえた言葉。 蘭の花が散り、玉が砕けるという意味。 出典の「蘭摧玉折と為(な)るとも、蕭敷艾栄(しょうふがいえい)とは作(な)らず」は、ただ漠然と生きるよりも、潔く死ぬ方が本望であるという意味。

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自身の失敗や負けを認めようとしないこと。 または、何かにつけて言い訳ばかりすること。 西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」という言葉を「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えた。 友人に間違いを指摘されると「石で歯を磨いて、流れで耳を洗うのだ」と無理な主張をして間違いを認めなかったという故事から。 夏目漱石の雅号「漱石」はこの故事が由来。 「枕流漱石」ともいう。

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普通の人の中で少しだけすぐれている人のたとえ。 「錚錚」は金属の音の形容で、金や銀に比べると劣るが、鉄の中だと少し良い音がするという意味から。

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両手をついて、膝を床につけ、ひれ伏したまますり足で移動すること。 地位の高い人の前で、恐縮しながら移動するときの作法。 「匍匐」は腹を地面に付けて寝そべること。 「膝行」は膝を地につけて、するように移動すること。

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世俗を離れてのんびりとした気持ちで自然や芸術を楽しむこと。 「低徊」は考え事をしたりしながら、ゆっくりと歩き回ること。 「低」は「彽」、「徊」は「回」とも書く。

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最もよいとされる礼物のこと。 「束帛」は十反の絹の布。 「璧」は宝石のこと。 十反の絹の布の上に宝石をのせたもののことで、古代中国では最高級の礼物とされていたということから。

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悪人などが我が物顔で好き勝手に振舞うこと。 「跳梁」は跳ね回ること、「跋扈」は大きな魚が仕掛けた罠から飛び跳ねて逃げる様子のことから。 「跋扈跳梁」ともいう。

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心臓の鼓動が速く激しくなること。 「心悸」は心臓の鼓動が乱れる、動悸のこと。 「亢進」は高ぶること。 病気や精神的な興奮などで、心臓の鼓動が速く激しくなることをいう。 「心悸昂進」とも書く。

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程度が不適切な褒美と罰のこと。 「僭賞」は度を超えた褒美のこと。 「濫刑」はむやみに罰を与えること。

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非常にすぐれた人や物に、わずかな欠点があること。 「白璧」は白い宝石。 「微瑕」は少しきずがあること。 白く美しい宝石に少しだけきずがあるという意味から。

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とてもぜいたくなごちそうのこと。または、心のこもったもてなしに感謝していう言葉。 金を炊いて、宝玉を膳に並べるという意味。 「金(きん)を炊(かし)ぎ玉(ぎょく)を饌(そな)う」とも読む。 「饌玉炊金」ともいう。

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女性が強い権力を持って、勢力を振るうこと。 または、女性が権力を握って治めると、国や家などが滅びることのたとえ。 「牝鶏」は雌鶏。 「晨」は日の出を鶏が鳴いて知らせるという意味。 日の出の時間に鳴くのは本来は雄鶏であり、雌鶏が鳴くことは秩序が乱れた証とされ、王后や王妃が権力を握り、国家が滅びることの前触れとされていた。

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予想もしていなかった不思議な出来事。 または、極めて都合が悪いこと。 「咄咄」は驚いて声を上げること。 「怪事」は不思議な出来事。 晋の殷浩が、親友である桓温の讒言で貶められた悔しさを言い表した言葉から。

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ほんの少しの給料。 「斗」と「斛」はどちらも分量の単位で、一斗と一斛ということから、非常に少ないことのたとえ。 「禄」は俸禄、給料のこと。

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友人と一晩中語り明かすこと。 「牀」は寝床や腰掛け。 吹雪いている夜に時間も忘れて、隣同士の寝床で語り明かすという意味から。 「対床風雪」とも書く。

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何度失敗しても信念を曲げないこと。 「百折」は何度も折れること。 「不撓」は決して曲がらないこと。 非常に意志が固いことをたとえた言葉で、物事が何度途中で駄目になっても、決して諦めないという意味から。

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弱い者や負けている者、不運の者たちに同情して、応援したり手助けをしたりすること。 「判官」は官職の名前のことで、ここでは源義経のこと。 「贔屓」は特に目をかけて可愛がったり手助けをしたりすること。 源義経が兄の源頼朝に嫉妬されて滅ぼされたことに対して人々が同情を寄せたことから。

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水中で溺れて死んだ人のこと。 「汨羅」は中国の川の名前。 「鬼」は死者の霊魂。 楚の懐王に忠節を尽くして仕えていた屈原という人が、讒言で懐王の怒りを買い、追放されて入水自殺したという故事から。

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目の焦点が合わないほど酒に酔い、ぼんやりとしか辺りを見ることができない様子。 「酔眼」は酒に酔い、目の焦点が定まらない様子。 「朦朧」は視界がかすんで、はっきりと区別できないこと。

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禅宗の言葉で、思い悩み、心の働きが止まってしまうこと。 「佇思」はその場に止まって悩むこと。 「停機」は心の働きが止まること。 「佇(たたず)みて思い機(き)を停(とど)む」とも読む。

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愚かな人物に物の道理を説いても理解できないので意味はないということ。 「驢」は動物のろば。 「撫」は奏でるという意味。 ろばに琴を弾いて聞かせるという意味から。 「驢(ろ)に対して琴(こと)を撫(ぶ)す」とも読む。

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災いの原因になるものを全て取り除くこと。 「翦草」は草を刈ること。 「除根」は根を取り除くこと。 草を全て刈り取り、草が生えないように根を全て取り除くという意味から。 「草を翦(き)り根を除く」とも読む。

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目に入るさまざまな物や現象を観察すること。 上を見上げては空に起こる現象を観察し、下を見ては土地の様子を観察するという意味から。 「俯察仰観」ともいう。

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官職につかずに民間の職についている人のこと。 または、臣下が自分自身のことを謙って言い表す言葉。 「草莽」は草むらや田舎という意味から、官職につかずに民間で働いている人のことのたとえ。

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農業に精を出すこと。 朝には畑を耕して、日が暮れてからは草をむしるという意味から。 「朝(あした)に耕し暮れに耘(くさぎ)る」とも読む。

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相手の周りを回りながら囲むこと。 「旋転」はぐるぐる回ること。 「囲繞」は周囲を取り囲むこと。

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ひるまず、ためらわず、ひたすら目標や目的を目指して真っ直ぐ進むこと。 「勇往」は意気込んで前に進むこと。 「邁進」は気後れすることなく進むこと。

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幼子と老人のこと。 「垂髫」はおさげ髪のことで、幼子のたとえ。 「戴白」は白髪頭ということから、老人のたとえ。

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悪い行いをすれば、必ず天から罰が下るということ。 「天罰」は天が下す罰のこと。 「覿面」は実際に目撃するということから、すぐに効果が現われるということ。

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たくさんの人たちの心をしっかりとらえてまとめること。 または、たくさんの人たちの信頼を得ること。 「収攬」はまとめて手でにぎること。

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強い者同士が激しい戦いをすること。 竜と虎が戦うという意味。

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旅をするときに着る服装のこと。 「青鞋」はわらじ。 「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。 「布韈青鞋」ともいう。

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風雨にさらされて、苦労しながら仕事に励むこと。 「鬟」はまげ、「鬢」は耳のあたりの髪のびん。 髪を風にとかされ、雨に洗われるという意味から。

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他人の失敗や欠点をしつこく見つけ出そうとすること。 「索」は探すこと。 「瘢」は傷跡。 人の垢を洗い流すようなことをしても、傷跡を探そうとするという意味から。 「垢(あか)を洗いて瘢(きず)を索(もと)む」とも読む。

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世の中の有り様や自分の運命などについて憤り嘆くこと。 「悲歌」は悲しげに歌うこと。 「慷慨」は不満を抱き嘆くこと。 「慷慨悲歌」ともいう。

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目的を達成するまでに役に立っていたものを達成したあとには忘れること。 「筌」は魚を捕まえるために水の中に設置する竹のかご。 魚を捕まえたあとは、筌のことを忘れるという意味から。 「魚(うお)を得て筌(せん)を忘(わす)る」とも読む。

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非常に狭い土地のたとえ。 「弾丸」は小さな鳥を捕獲するために使う弾き弓の小さな玉。 「黒子」はほくろ。 弾き弓の玉や、ほくろのような土地という意味から。 「弾丸黒痣」とも書く。

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他の人から縛られず、自身で判断して行動すること。 「不羈」はなにものにも繋ぎ止められないこと。 「不羈独立」ともいう。

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自分たちを救ってくれた軍隊を民衆が感謝してもてなすこと。 「箪」は竹やひのきなどの薄い木の板で作られた、食べ物をいれるための容器。 「漿」は酒以外の飲み物や汁物のこと。 古代中国の燕の国は斉の国に破れたが、悪政に苦しんでいた燕の国の民は、斉の軍隊に感謝しもてなしたという故事から。

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実際に行動を起こしていなくても、心の中に悪意があれば罰を与えること。 中国の春秋時代の法で、「原心定罪」と呼ばれ、動機に応じた罰を与えるということ。

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威厳があり、人と馴れ合わない性格のため、角が立ってしまい孤立していること。 「風岸」は融和できずにすぐに角が立ってしまう厳しい性格。 「孤峭」は孤立した山などが険しく立っている様子。

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この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ること。 「截断」は断ち切ること。 「衆流」は様々なものの流れという意味から、雑念や煩悩のたとえ。 「衆流(しゅる)を截断(せつだん)す」とも読む。

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臣下の力が大きくなりすぎると、君主が統制することができなくなるということ。 「尾大」は尾の大きさが大きいこと。 「掉」は振り動かすこと。尾が大きすぎると自力で尾を動かすことができないという意味から。

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功績に合わせて人材を評価、登用すること。 「黜陟」は人材を評価し、それに合わせて待遇を決めること。 「幽明」は功績の無い愚者と功績のある賢者。 愚者を退けて賢者を登用するということから。 「幽明(ゆうめい)を黜陟(ちゅっちょく)す」とも読む。

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欠点や短所が数多くあること。 または、ひどく傷だらけでぼろぼろの状態のこと。 「百」と「千」はどちらも数が多いことのたとえ。 「孔」は穴、「瘡」は切り傷。 百の穴、千の切り傷があるという意味から。 「千瘡」は「千創」とも書く。 「千瘡百孔(千創百孔)」ともいう。

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中国古代の有名な兵法書「六韜」と「三略」のこと。 または、兵法の極意などのこと。 「六韜」は文・武・竜・虎・豹・犬の六巻があり、周の太公望呂尚の作とされている。 「三略」は上巻、中巻、下巻の三巻があり、前漢の黄石公の作とされている。 「韜」は剣袋や弓袋のこと、「略」は作戦や計略のこと。

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一般的な常識には従わずに別の方法をとる英雄のたとえ。 「泛駕」は馬が興奮して指示に従わずに道をそれてしまうということから。

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常に自身の身のまわりの注意を怠らず、慎みのある言動をするべきだということ。 「伏寇」は潜んでいる盗賊、「在側」は近いところにいるという意味。 怠ることなく、いつも注意すべきだという戒めの言葉。 「伏寇(ふくこう)側(かたわら)に在り」とも読む。

93/557

心の中では怯えながら、相手をおどすこと。 「恫疑」は恐れて迷うこと。 「虚喝」は虚勢をはっておどすこと。こけおどし。

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様々な種類の美しさがある様子。 「百様」は数多くの種類のものがある様子。 「玲瓏」は宝石のように澄み切っていて美しい様子。または、宝石や金属から出る澄んだ美しい音のこと。

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金や銀、宝石などで飾り付けた美しいかんざしのこと。 または、そのような美しいものを言い表す言葉。 「鈿」と「釵」はどちらもかんざしのこと。

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花びらが散り、乱れ舞う様子。 「落英」は散り落ちる花びらのこと、「繽紛」は乱れ散ること。

97/557

気に入られるために相手の機嫌をとること。 「擺尾」は尾を振ること。 川の流れに逆らって泳ぐ魚の動作のことをいい、頭を揺らしながら尾を振るという意味から。 「頭(かしら)を揺(うご)かし尾を擺(うご)かす」とも読む。

98/557

人の一生が短く消えてしまいやすいことのたとえ。 「蜉蝣」は虫の蜉蝣(かげろう)。 「一期」は一生のこと。 蜉蝣は朝に成虫になり、夕方には寿命で死ぬといわれているということから、儚いもののたとえ。

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男女が小さな声で仲良く話をすること。 または、小さな声で仲良く語り合う様子。 「喋喋」はたくさん喋ること。 「喃喃」は小さな声で話すこと。

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どこまでも広く、縛られるものが何もないこと。 仏教の言葉で、「無辺」はどこまでも広いこと、「無礙」は煩悩にとらわれずに自由なこと。 「無辺無碍」とも書く。

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立派な人が官職を辞めないことを望んで引き留めること。 「攀轅」は車のまえに突き出た二本の棒、ながえにすがりつくこと。 「臥轍」は車の進路に伏して通れないようにすること。 中国の後漢の時代、秦彭や侯覇が転任したりするときに、住民が引きとめたという故事から。 「轅(ながえ)に攀(よ)じて轍(わだち)に臥(ふ)す」とも読む。

102/557

欲深い人は金銭のために命を捨てるということ。 「貪夫」は強欲な人。 「徇財」は命を捨ててでも、金を欲しがるという意味。 「貪夫(たんぷ)は財に徇(したが)う」とも読む。

103/557

一つが駄目になるともう一つも駄目になるような、非常に深い関係のこと。 「輔車」は車の添え木と車の荷台。または、頬の骨と下顎の骨のこと。 「唇と歯」や「頬の骨と下顎の骨」のように、互いに助け合うことによって存続できるような関係をいう言葉。 中国の晋が虢(かく)の国を攻めるときに、虞(ぐ)の国は晋に通過する許可を出したが、虞の国と互いに助け合う関係にあった虢の国が滅びると、虞の国も滅びたという故事から。 「脣歯」は「唇歯」とも書く。 「輔車脣歯(輔車唇歯)」ともいう。

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深い友情のたとえ。 「刎頸」は首を切り落とすという意味。 相手のためなら首を切り落とされてもかまわないということから。 中国の戦国時代の趙の将軍の廉頗と、蘭相如が深い友情を結んだという故事から。

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兄弟が会うこと。 「牀」は床や寝床という意味で、兄弟が床を並べて、雨や風の音を心静かに聞きながら、語り合って眠るということから。

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しっかりと準備をして、災害が起こる前に防ぐこと。 「綢繆」は穴をふさぐこと。 鳥は雨が降る前に巣の穴をふさぎ雨に備えることから。 「未雨綢繆」ともいう。

107/557

器量の小さな人のたとえ。 「斗」は一斗の量が入る升。 「筲」は一斗二升の量が入る竹の籠。 どちらも入る量が少ない器のことから。 「斗筲之器」「斗筲之材」「斗筲之子」とも。

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すぐれた才能などを人に気付かれないように包み隠すこと。または、仏教で、悟りを開いたものが俗世を離れてひっそりと生活すること。 「韜」は包み隠すこと。 「光」は人のすぐれた才能のたとえ。 「晦」は隠すこと。 「迹」は痕跡のこと。 「光(ひかり)を韜(つつ)み、迹(あと)を晦(くら)ます」とも読む。 「晦迹」は「晦跡」とも書く。 「晦迹韜光(晦跡韜光)」ともいう。

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天に無実を訴えて、真夏に霜を降らせたという鄒衍の故事のこと。 中国の戦国時代の五行説を唱えた思想家の鄒衍は、無実の罪で投獄されたときに、天に無実を訴えると、天はそれに応えて真夏に霜を降らせたという故事。

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外出せず家の中で息をひそめて隠れていること。 また、外出を禁止して謹慎させた江戸時代の刑罰のこと。 「蟄居」は”虫が地中にこもる”という意味から、息をひそめて家にこもること。 「屏息」は息をひそめて隠れるという意味。

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歴史に名前が残るような功績や手柄のこと。 「竹帛」は竹の札と綿布のことで、紙のない時代には竹帛に文字を書いていたことから、歴史書や書物という意味。

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言葉を使うことなく、心から心へと通じ合うこと。 「拈華」は花をつねるという意味。 釈迦が花を指でつねったところ、弟子の中で迦葉だけが意味を理解して微笑したので、釈迦は迦葉に仏法の奥義を授けたという故事から。

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無駄なことや意味のないことを繰り返し行うこと。 または、人の真似ばかりで、新しい趣がないこと。 「牀」は床のこと。 「架」は屋根のこと。 床の上にまた床を張って、屋根の上にさらに屋根を作るという意味から。 「牀(しょう)を畳(かさ)ね屋を架(か)す」とも読む。

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昔からのやり方を受け継いで、そのまま行うこと。 「蹈」は踏むこと。 「襲」は受け継ぐこと。 「常を蹈んで故を襲う」とも読み、「蹈襲」と略し、現在では「踏襲」の形で用いられる言葉。

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つまづいて倒れたり、ふらふらしながら、当てもなく歩くこと。 「顛沛」はつまづいて倒れること。 「流浪」は当てもなくさまようこと。

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嘘の話でも、多くの人から何度も繰り返し話を聞かされていると信じてしまうことのたとえ。 「曾母」は孔子の弟子である曾参の母親。 「杼」は機織仕事の道具で糸を通すためのもの。 ある時、曾参の親類の者が人を殺した。 誰かが誤って、曾参の母親に「曾参が人を殺した」と告げたが、曾参の母親は信じなかった。 しかし、二人目、三人目と同じことを告げに来ると、さすがに話を信じて、機織仕事をやめて家を飛び出したという故事から。

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不自由のない生活のたとえ。または、贅沢な生活のたとえ。 飽きるくらいの十分な食料と暖かい衣服があって、生活に困らないという意味から。 「煖衣」は「暖衣」とも書く。 「煖衣飽食(暖衣飽食)」ともいう。

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取り繕ったりせずに、ありのままの心や感情がそのまま溢れ出ている様子。明るく素直で悪気がない様子。 「天真」は生まれるときに天から与えられた純粋な性格のこと。 「爛漫」はありのままの状態で光輝く様子。

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何かにこだわることがなく、思考や行動が自由であること。 「融通」は物事が停滞することなく順調に進むこと。 「無礙」は障害になるものがないという意味。 「融通無碍」とも書く。

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徳がある人物には、その人を慕って自然と人が集まるということ。 「蹊」は狭い道、小道。 桃やすももの花は美しく、実はおいしいために自然と人が集まり、道が出来るということから。 「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」という言葉を略した言葉。

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どの方向からみても曇りの一つもなく透き通っていること。 または、心に不信や疑念などがなく、すっきりと澄んでいること。 または、人付き合いがうまく、誰とでも円満に付き合えること。 「八面」はありとあらゆる方面のこと。 「玲瓏」は宝石のように曇りなく透き通っていて美しい様子や、美しく鮮やかに輝く様子。

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日本の江戸時代に、農民が結束して起こした暴動のこと。 「一揆」は目的を果たすために、心を合わせて行動すること。 飢饉や増税、役人の不正などで生活が苦しくなり、それらを解消しようとして起こしていた。

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いつまでも悩んで、物事を決めることが出来ないこと。 「躊躇」と「逡巡」はどちらもぐずぐずするという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。

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学問を教える場所、講堂のこと。 「緇林」は木々が生い茂っていて暗い林。 「杏壇」は杏の木の下にある小高い土の上の壇。 孔子は、木々の生い茂った薄暗い林で遊んで、杏の木の下の壇で休んだという故事から。

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建物が新しくなって、大きく立派な建物になること。 「輪奐」は大きく美しい建物のこと。

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全く予想すらしていなかった急な出来事。大変動。 「霹靂」は急に激しい雷鳴が鳴り響くこと。 よく晴れた青空に、前触れもなく雷鳴が轟くという意味から。 元は、筆勢に躍動感があって、のびのびとしている様子を言い表す言葉。

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注意するときに、その人を傷つけないように、周りの人に気づかれないような配慮をすることが大切であるということ。 「躡足」は足を踏むこと。 「附耳」は耳に口をつけて密かに言うこと。 「足を躡(ふ)み耳に附(つ)く」とも読む。

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軍隊の策略と陣容が整っていること。 「中権」は陣営の中央で参謀が策略を練ること。 「後勁」は後ろに強い部隊が待機していること。 「中(ちゅう)は権(はか)り後(のち)は勁(つよ)し」とも読む。

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才能が抜群にすぐれていること。 「騰蛟」は天に躍り上がる蛟竜のことで、雷雨を呼び洪水を起こすとされる伝説の竜。 「起鳳」は飛び立つ鳳凰のこと。鳳凰は伝説の鳥。

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門の前などに大勢の人が集まることの形容。 「門巷」は門や門の前にある小道、「塡隘」はふさがって狭くなるという意味で、人が多くて道が通れないということから。

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時期が合わず、役に立たないものや、無用な意見や才能のこと。 または、今は不要でも適切な時期が来れば役に立つようになること。 君主からの愛情や信用を失ったものや、恋人に捨てられた女性などを指す場合もある。 「夏鑪」は夏の火鉢や囲炉裏、「冬扇」は冬の扇のことで、どちらも季節外れであることから。 「夏鑪」は「夏炉」とも書く。 「冬扇夏鑪(夏炉)」ともいう。

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乱暴で品のない言葉を使って、相手のことを悪く言うこと。または、その言葉のこと。 「罵詈」は汚い言葉で相手の悪口を言うこと。 「雑言」は様々な悪口のこと。

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周りに気を使わずに好き勝手に喋り散らすこと。 「跌蕩」は小さなことにこだわらずに、すき放題すること。

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美しくなまめかしい容姿。 または、そのような女性が人を惑わすような妖艶な仕草のこと。 「妖姿」は容姿がなまめかしい、「媚態」は態度や仕草がなまめかしいこと。

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あちこちひどく散らかっていること。 花が舞い散るという意味から。 「落花」は花が散ること。 「狼藉」は狼が草を敷いて寝た後の散らかっている様子のこと。

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優れてはいるが、学んでも役に立たない無駄な技術のこと。 「屠」は獣を殺すこと。 竜を殺す技術を学んでも、竜は現実にいないので使うことがないという意味から。

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兄弟の仲が悪く、互いに対立して争うことのたとえ。 「仆」は倒れるや倒すという意味。 桃が傷つき李が倒れるという意味で、桃と李という似ている果実を兄弟にたとえた言葉。

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昼も夜もかまわずに先を急ぐこと。 「倍日」は一日でその倍の二日分のことをすること、「并行」は合わせるという意味で、一日で二日分の行程を進むという意味から。 「倍日併行」とも書く。

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経験が少なく、知識が狭いこと。 または、そのような人のこと。 「尺沢」は小さな池。 「鯢」は山椒魚のこと。 小さな池に住む山椒魚は、その池の中のことしか知らないということから。

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降伏してその相手に臣下にしてほしいと請い願うこと。 「肉袒」は上半身を脱ぎ裸になることで、どんな罰でも受けるという降伏の意思を表すこと。 「牽羊」は羊をひくという意味で、料理人になり仕えたいという意思を表すこと。

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意志と行動が別の方向を向いていて、互いに反していることのたとえ。 「轅」は前進する方向に向けられるかじ棒のこと。 「適」はその向きに行くこと。 かじ棒は北を向いているのに、なぜか南にある楚の国に行くことから。 「適楚北轅」ともいう。

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人里から離れて、自然の中で生活したいという願いが極めて強いこと。 「泉石」は泉水と石ということから、自然の景色や、自然そのもののこと。 「膏肓」は心臓の下の部分と、横隔膜の上の部分のことで、病気になると治療のための鍼も薬も届かないために、治すことが出来ないとされている。 自然の中で生活したいという気持ちが、治せない病気のようになるということから。

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とても深く固い友情のこと。 「雷陳」は中国後漢の雷義と陳重という人物。 「膠漆」は接着剤の膠と漆のこと。 膠や漆がかたく張り付くよりも二人の関係は固いと噂されたという故事から。

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才能がない人でも、努力をすれば才能のある人に並ぶことができるということのたとえ。 「駑馬」は、足の遅い馬のこと。 「駕」は、馬に車をつけて走ること。 足の速い馬は一日で千里もの距離を走るが、足の遅い馬でも十日間休まず走り続ければこれに追いつけるという意味から。

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次から次へと絶え間なく続いている様子。または、大勢の人が次々と続いている様子。 「比肩」は肩を並べるということから、人が多いということ。 「随踵」は踵を踏むほどの間隔で続いてくること。 「肩を比べ踵(かかと)に随(したが)う」とも読む。

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遠くの海と空の境(水平線)がぼんやりとしていて、どこまでが海でどこまでが空なのかはっきりしない様子。 「水天」は海と空のこと。 「髣髴」はぼんやりとしていてはっきり区別できない様子。 「水天彷彿」とも書く。

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頭を地面につけ、玉を口にくわえること。 謝罪や降伏を意味する儀式の一つ。

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宝剣のこと。 中国の呉の王の闔閭が持っていたとされる、黒く澄んだ宝剣。 「湛」は澄むや沈むという意味。 「盧」は黒い色という意味。 中国の春秋時代、越の王が有名な刀匠の欧冶子を招いて作らせたもので、呉の王の闔閭が最初に持っていたが、剣が見限って楚の昭王のものになったといわれている。

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人は環境次第で良くなることも悪くなることもあるということ。 江南ではとても美味しい橘(たちばな)を、淮水より北の土地に植えると食べることができない枳(からたち)になってしまうことから。

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文明がないような地域にある野蛮な風習のこと。 「被髪」は束ねずに乱れた髪の毛。 「左衽」は左前にして着物を着ることで、普通とは逆に着るという意味。 「被髪左袵」とも書く。

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自身の才能や地位、本心などを隠して表に出さないこと。 「韜晦」は才能や学識などを隠すという意味。

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世の中や自身の運命に憤りを覚えて嘆き悲しむこと。 「悲憤」は悲しんで憤ること。 「慷慨」は社会の不正や世論が悪い方向に変わっていくことなどを憤り嘆くこと。 似ている意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「慷慨悲憤」ともいう。

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世界の始まり。天と地ができた世の始まり。 「天地」は天と地のこと。 「開闢」は始まり、開け始めという意味。 一つの渾沌としたものがあり、それが二つに分かれて天と地になったという古代中国の神話から。

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美女のこと。 「明眸」は美しく透き通った瞳のこと。 「皓歯」はきれいに並んだ白い歯という意味。 楊貴妃の美しさをたたえた言葉。 「皓歯明眸」ともいう。

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病気になっているわけではないのに苦しそうにすること。 または、取り立てるほどのことでもないのに、大げさに騒ぎ立てること。 または、必要以上に嘆息して見せるだけで、真実だとは思えない詩文のたとえ。 「呻吟」は苦しんで声を発すること。

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下品で低俗な様子。 「俗臭」は低俗で卑しい様子。 「芬芬」は臭いが強く香ること。 金銭や社会的地位に固執する様子をいう。 「俗臭紛紛」とも書く。

157/557

仏教の戒律を破っても全く恥じることがないこと。 「破戒」は不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒という仏教の戒律を破ること。 「慙」は恥だと感じること。

158/557

人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。 または、人の人生が儚いことのたとえ。 「盧生」は人の名前。 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。

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酒を軽く飲んで歌や詩を小声で口ずさむこと。 「浅酌」は少量の酒をたしなむ程度に軽く飲むこと。 「低唱」は歌を小さく低い声で歌うこと。 「低唱浅斟」「浅斟低唱」「浅酌微吟」ともいう。

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あるものを激しく欲しがる様子のこと。 「涎」はよだれ。 おいしそうな食べ物を見て、思わず涎を三尺も垂らすという意味から。

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この上なく無礼であること。 「袒裼」は袖から肘を引いて外に出すということから、上半身の衣服を脱ぐこと。 「裸裎」は全ての衣服を脱いで裸になること。

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一時の熱意にまかせて、後先考えずに無謀な行いをすること。 「暴虎」は虎を素手で殴ること。 「馮河」は大河を歩いて渡るという意味。 どちらも無謀な行動のたとえ。 孔子が弟子の子路を戒めた言葉。

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身に覚えのないことで疑いをかけられること。 「薏苡」は、ハトムギのこと。数珠玉に似た白い種子の穀物。薬用・食用とされる。 「明珠」は、宝石のこと。 中国後漢の時代、馬援が交趾(今のベトナム)から、薬にするための薏苡の実を車にのせて持ち帰ったところ、薏苡を宝石だと思い込んで天子に讒言(ざんげん)する者もあらわれ、あらぬ嫌疑をかけられたという故事から。

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物事が進んでいくにつれて、込み入った変化や事情が起きること。 「波瀾」は波と荒波という意味から、争いという意味。 「曲折」は折れ曲がるという意味から、複雑な事情という意味。 「波乱曲折」とも書く。

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義を重んずる人は、名誉のために命を懸けること。 「烈士」は正しい信念を持った義理堅い人のこと。 「徇」は一つのことに身を捧げるという意味。

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全力を尽くして仕事や勉学に励むこと。 「精励」は全力で物事を行うこと。 「恪勤」は真剣に物事を行うこと。 「恪勤精励」ともいう。

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礼儀作法に外れていて、失礼な態度のこと。 「跛立」は片足で立つこと。 「箕坐」は足を投げ出して座ること。

168/557

煩悩のない悟りの境地は静かで穏やかな世界であるということ。 「涅槃」は煩悩の炎を吹き消すという意味から、悟りの境地のこと。 「寂静」は心静かに落ち着いた様子。 仏教の基本的教義である「三法印」や「四法印」の中の一つ。

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男女が離れて二度と会うことができないことのたとえ。 「瓶」は井戸のつるべ、「簪」は玉のかんざしのことで、つるべの縄が切れて、縄が井戸の底に落ち、かんざしが二つに折れてしまうという意味から。

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ゆったりとした心で、学問や芸術を深く味わうこと。 「優游」はゆったりとしているさま。 「涵泳」は水に浸り泳ぐ意で、じっくりと味わうこと。

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天子の徳により民衆が感化されて、天子が何もしなくてもおのずと天下が平穏に治まること。 「垂拱」は袖を垂れて手をこまねくという意味から何もしないこと。 「化」は感化、教化されること。

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様々な苦労をすることのたとえ。 「風櫛」は髪を風でとかすこと。 「雨沐」は雨で体を洗うこと。 雨や風にもめげずに苦労しながら働くということから。

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力のある人に付き従うことで、自身も出世すること。 「攀」はすがりつくということ。 「驥」は一日で千里の距離を走るとされる、すぐれた馬のこと。 竜やすぐれた馬にしがみつくという意味から。 「竜(りょう)に攀(よ)じ驥(き)に附(つ)く」とも読む。

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来訪した友人を手厚くもてなすこと。 「冒雨」は雨を冒す、「剪韭」はにらを摘みにいくことで、来訪した客をもてなすために雨の中、外に出て、にらを摘み食事をごちそうした故事から。

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物事の見た目にこだわらず、本質を見抜くことのたとえ。 「牝牡」はめすとおすのこと。 「驪黄」は色の黒色と黄色。 中国の秦の穆公が、馬を見抜く名人である伯楽に推薦された九方皐に馬を探しに行かせた。 九方皐が黄色い牝馬を見つけたという報告を受けたが、連れ帰られた馬は黒い牡馬であった。 穆公は馬の色や性別も分からないのかと怒ったが、これに対して伯楽は色や性別などの見た目にこだわらず、馬本来の能力を見るべきだといった。 そして、その馬は他と比べることのできないほどの名馬だったという故事から。

176/557

気象現象の蜃気楼のこと。 または、非現実的な考えや根拠のない理論のたとえ。 「海市」と「蜃楼」はどちらも蜃気楼(光の異常屈折が原因で遠くのものが浮かんで見えたり逆さに見えたりする現象)のこと。 「蜃楼海市」ともいう。

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自身の失敗や負けを認めようとしないこと。 または、何かにつけて言い訳ばかりすること。 西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」という言葉を「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違えた。 友人に間違いを指摘されると「石で歯を磨いて、流れで耳を洗うのだ」と無理な主張をして間違いを認めなかったという故事から。 夏目漱石の雅号「漱石」はこの故事が由来。 「枕流漱石」ともいう。

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平和に治まっていて、よい政治が行われ、犯罪がないことのたとえ。 「草満」は草が生い茂ること。 「囹圄」は牢屋のこと。 犯罪を犯す人がいないために、牢屋が使われることなく、牢屋に草が生い茂るという意味から。 「草(くさ)囹圄(れいご)に満(み)つ」とも読む。

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酷く悲しんで苦しみやつれること。 「悲傷」は酷く悲しむこと。 「憔悴」は精神的な苦痛や病気でやつれ衰えることから。

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すぐれた能力を持っている人物が同じ時期に一斉に現れ、多くの素晴らしい成果を残すこと。 または、すぐれた能力を持っている人物や、容姿の美しい人物がたくさん集まっている様子を言い表す言葉。 「百花」は様々な種類のたくさんの花、「繚乱」は多くの花がまじり合って咲くことで、様々な種類の花がまじり合ってたくさん咲いているという意味。 「百花撩乱」とも書く。

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すぐれた人格を持っている人は、口数は少なく、動きは正確で素早いということ。 「訥言」は話が下手なこと。 「敏行」は行動が素早いこと。 「言(げん)に訥(とつ)にして行いに敏(びん)なり」とも読む。

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事情が複雑で解決することが難しいこと。 「槃根」は曲がりくねった木の根のこと。 「錯節」は入り組んだ木の節のこと。 「盤根錯節」とも書く。

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災いをはらうこと。 「桃弧」は桃の木でできた弓。 「棘矢」は茨の木でできた矢。 どちらも魔よけの際に使う道具ということから。

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規則に縛られず、自由に書いた文章のこと。 または、小さなことにこだわらない、大まかなこと。 「麁枝」はまばらで大きな枝。 「粗枝大葉」とも書く。

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世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。

186/557

歳をとってから官職につくこと。 「白髪」は白い髪のことで、歳老いた人のこと。 「青袗」は浅黄色の短い着物のことで、中国の宋の時代、位の低い文官の着ていたとされる制服のこと。

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根拠もなく、いい加減な噂のこと。 「造言」は根拠のない嘘や作り話。 「蜚語」は無責任な噂のこと。 「造言飛語」とも書く。

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自分自身を奮い立たせること。 「振臂」は腕を振ること。 「一呼」は声を出すこと。 腕を振って声を出すということから。

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さっぱりとしていて、欲がなく、物事にこだわらないこと。 「恬淡」はものに執着せずに、落ち着いていること。 「恬淡」は「恬澹」、「恬憺」とも書く。

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過去の過ちを反省し、改心して善人になること。 「刮腸」は小刀で内臓を抉り取るということ。 小刀を飲み込んで、体の内側の悪い部分を削り取るという意味から。 「刀を呑(の)んで腸を刮(けず)る」とも読む。

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規則を守ることばかりの面白味のない文章のたとえ。 「太羹」は味をつけていない肉汁。 「玄酒」は水のこと。 まだ酒が無かった太古の時代の祭りでは、酒の代わりに水を使っていたことからきた言葉。

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すぐれた才能などを人に気付かれないように包み隠すこと。または、仏教で、悟りを開いたものが俗世を離れてひっそりと生活すること。 「韜」は包み隠すこと。 「光」は人のすぐれた才能のたとえ。 「晦」は隠すこと。 「迹」は痕跡のこと。 「光(ひかり)を韜(つつ)み、迹(あと)を晦(くら)ます」とも読む。 「晦迹」は「晦跡」とも書く。 「晦迹韜光(晦跡韜光)」ともいう。

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たくさんの人ににらまれること。 「万目」は多くの人の目という意味から、大勢の人のこと。 「睚眥」はにらむこと。

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苦しく辛いことを克服しながら長い旅をすること。 「跋山」は山を越えること。 「渉水」は河を渡ること。 「山を跋(ふ)み水を渉(わた)る」とも読む。

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両親から受けた報いきれないほどの恩のこと。 「罔極」は限りがないという意味。 報いることが出来ないほどの限りない恩という意味から。

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墨を使って書かれたものが生き生きとしている様子。 「墨痕」は墨の跡という意味から、墨で書かれているもののこと。 「淋漓」は水などの液体が滴る様子ということから、筆勢がみずみずしいということ。

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世に知られていない人材を探し出して用いること。 または、人が秘密にしていることや、弱点を暴くこと。 「爬」は爪などでほじくって集めること。 「羅」は網などで鳥を捕まえること。 「剔」は削り取ること。 「抉」は抉り取ること。

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価格が安いときに暴落を防ぐために買って保存しておき、価格が高くなったときに、高騰しすぎないように保存しておいたものを売って物価の安定を図る政策のこと。 「賤」は安価。 「斂」は集めること。 「貴」は高価。 「発」は出すこと。 「賤(せん)に斂(おさ)め貴(き)に発す」とも読む。

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貧しい暮らしをしながらも勉学に励むこと。 「薺」は植物のなずなのことで、質素な食べ物のたとえ。 「画」は四つに切り分けること。 中国の北宋の范中淹は、冷めて固まった粥を四つに切り分けて、朝と夜に二つずつ食べ、おかずには刻んだなずなを食べるという、貧しい暮らしをしながらも勉学に励んだという故事から。 「薺(なずな)を断ち粥(かゆ)を画(かく)す」とも読む。 「断韲画粥」とも書く。

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非常に短い時間のこと。 「俯仰」はうつむくことと上を向くこと。 下を向いたり、上を向いたりする間の時間という意味から。 「俛仰之間」とも書く。

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酷い痛みで転げまわりながら悶えて苦しむこと。 「悶絶」は悶えて苦しんで気を失うこと。 「躄地」は地面を這いずり回ること。

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世の中の流れに合わせて身の振り方を変えること。 または、善い行いをすれば尊ばれ、悪い行いをすれば蔑まれるということのたとえ。 または、世俗を超越すること。 「纓」は冠の紐。 水が綺麗なら冠の紐を洗い、水が汚れていれば足を洗うという意味から。

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意志と行動が矛盾していることのたとえ。 「轅」は前進する方向に向けるかじ棒のこと。 「轍」は車輪の跡のこと。 かじ棒は南を向いているのに、車輪の跡は北に向かって付いているという意味から。 「北轍南轅」ともいう。

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非常に欲深く、残酷なもののたとえ。 「封豕」は大きないのしし。 いのししは何でも食べるということから、欲深いことのたとえ。 へびは大きなものでもそのまま飲み込むということから、残酷なことのたとえ。 中国の春秋時代、楚の国の申包胥が言ったとされる言葉から。 「封豕長蛇を為す」を略した言葉。

205/557

人よりも先に、自ら進んで物事を行うこと。 「率先」は他人よりも先に物事を行うこと。 「躬行」は自らが進んで物事を行うこと。

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力を合わせて一致協力して物事に取り組むこと。 「戮」と「協」はどちらも合わせるという意味で、似た意味の言葉を重ねて強調した言葉。 「協心戮力」ともいう。

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昔の資料を解読した故事のこと。 「束皙」は中国の晋の時代の人の名前。 「竹簡」は竹に文字を記したもので、紙が発明される前に使われていたもの。 古代の王の墓から掘り出され、誰にも読むことのできなかった文字を束皙が解読したという故事のこと。

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四字句と六字句の対句を用いる、古代中国の修辞的な文体のこと。 「駢」は馬を二頭並べて車につなぐという意味から、対句という意味。 「儷」は一対になって並ぶという意味。 中国の六朝時代から唐の時代にかけて盛んに使われ、中国の美文の基本となった文体。

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急いで仕事をすること。 または、昼も夜も休まずに先へ進むこと。 「晨」は朝のこと。 「兼道」は二日かかる行程を一日で進むこと。

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自身の損得は考えずに、君主や国家への忠義を尽くすこと。 「匪躬」は自身の損得を考えないこと。

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自分の短所の改善に努めること。 または、自分の性格を改めて人格を高めるために戒めの物を身につけること。 「佩」は身につけるという意味。 「韋」はなめし皮のこと。 「弦」は弓のつるのこと。 中国の戦国時代、西門豹は短気な性格を直そうと「ゆったりとしたなめし皮」を身に着け、春秋時代の董安于は厳格な性格に改めるために「かたい弓のつる」を身につけたという故事から。 「韋弦之佩」ともいう。

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ひどく貧しいことのたとえ。 「齏」は野菜の和え物のこと。 朝食に塩漬けの野菜の和え物をおかずにして、夕食は塩をおかずにするということから。

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くだらない文章や、聞くだけ無駄な話のたとえ。 「驢鳴」は動物のろばの鳴き声。 ろばや犬の鳴き声のように無駄な話という意味から。 「驢鳴き犬吠ゆ」とも訓読する。 「犬吠驢鳴」ともいう。

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激しく怒ったり、ひどく悔しがる様子。 感情を昂らせる様子を表す言葉。 「偏袒」は着物の片方の袖を脱いで肩を出すこと。 「扼腕」は片手でもう片方の二の腕を強く握ること。 どちらも感情を昂らせることのたとえ。

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無意味な努力のこと。または、やっても充実感がないことのたとえ。 「鏤」は刻むこと。 影を吹き飛ばそうとしたり、塵に刻み目をいれようしたりすることから。 「影を吹き塵(ちり)に鏤(ちりば)む」とも読む。 「鏤塵吹影」ともいう。

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いきなり激しく揺り動かすこと。 「飄忽」は突然、いきなりという意味。 「震蕩」は激しく揺らすこと。 「飄忽震盪」とも書く。

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老人を言い表す言葉。 「尨」は白髪混じりという意味。 「皓」は色が白いという意味。 髪や眉に白い毛が混じるという意味から。

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人々の生活が貧しく苦しいこと。 「千里」は千里四方という意味から、広大な範囲のたとえ。 「烟」は炊事をするときにでる煙。 千里四方の広い範囲で、炊事をする煙が見えないという意味から。 「千里無煙」とも書く。

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臣下が権力を使って、好き勝手に振る舞うこと。 「梁冀」は後漢の時代の大将軍の名前。 「跋扈」は魚を捕らえるための罠の竹垣を魚が飛び越えて逃げ出すということから、好き勝手に振る舞うこと。 横暴な振る舞いをしていた大将軍の梁冀は、八歳の質帝に「跋扈将軍」とあだ名をつけられたことに怒り、梁冀は質帝を毒殺したという故事から。

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いろいろと疑い迷って、いつまでも決断できずにぐずぐずしている様子。 「遅疑」は疑い迷ってなかなか決断できない様子。 「逡巡」は尻込みしてぐずぐずすること。

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男女の交わり、情交のたとえ。 「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山のこと。 中国の戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。

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苦労や困難があっても決して諦めることがないこと。 「不屈」と「不撓」はどちらも決して屈しない、諦めないという意味。 似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「不屈不撓」ともいう。

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軽業のこと。 「橦末」は竿の先端。 「伎」は曲芸。 竿の先端で行う曲芸という意味から。

224/557

ばらばらになって、どこがどう繋がるかわからない朝廷の記録のこと。 「断爛」はちぎれてぼろぼろになること。 「朝報」は朝廷の記録のこと。 中国の北宋の王安石が、儒教の五経の一つの『春秋』をそしったという故事から。

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荒々しく道理に背き、どこまでも貪欲なこと。 「羊很」は乱暴な羊のように荒々しく、命令に従わずに道理に背くこと。 「狼貪」は狼のように欲深くむさぼること。

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もち粟が入っている吸い物とよもぎの入っている酒のこと。 「朮」は粟の一種類のもち粟のこと。 「羹」は肉や野菜の入っている吸い物。 「艾」はよもぎのこと。 古代中国の洛陽で、五月の節句を祝うものとされていた。

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欠点や失敗を責める声が非常にやかましい様子。 「非難」は相手の欠点や失敗を責めること。 「囂囂」はやかましいことや、非常に声が大きいこと。 「非難囂々」とも書く。

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他人に頼らずに、自分自身の力だけで物事を行い、辛いことがあってもくじけないこと。 「撓」は枝がたわむということから、心が折れる、くじけるということのたとえ。

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金や物を思うままに好きなだけ使うこと。 「贅沢」は必要以上の無駄な費用を使うこと。 「三昧」は夢中になって、ほかの事を蔑ろにするという意味。

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離れ離れになって暮らしている夫婦がお互いのことを思いやることのたとえ。 「巫雲」は中国の巫山という名前の山の雲。 「蜀雨」は中国の蜀という名前の国に降る雨。

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極めて危険なことのたとえ。 「鈞」は中国の昔の重さの単位で、「一鈞」は周の時代では約八キログラム、唐の時代では約二十キログラム。 髪の毛一本で千鈞の重さがあるものを吊り下げることから。 「一髪、千鈞を引く」を略した言葉。 「千鈞一髪」ともいう。

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建物が昔からの伝統に基づいて作られていること。 異説もあるが、「黝」は青みを帯びた黒色、「堊」は白色、「丹」は赤色、「漆」は黒色または漆塗りのこと。

233/557

考えてもいなかった不幸が突然訪れること。 「毋望」は予期していなかったことが突然起こること。 「毋」は「无」、「無」とも書く。

234/557

男女の交わり、情交のたとえ。 「雲雨」は雲と雨のこと。 「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山のこと。 中国の戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。 「巫山雲雨」ともいう。

235/557

世界。天と地。この世。 「天宇」は空の屋根という意味から、空や世界のこと。 「地廬」は地のいおりという意味から、大地のこと。

236/557

一つが駄目になるともう一つも駄目になるような、非常に深い関係のこと。 「輔車」は車の添え木と車の荷台。または、頬の骨と下顎の骨のこと。 「唇と歯」や「頬の骨と下顎の骨」のように、互いに助け合うことによって存続できるような関係をいう言葉。 中国の晋が虢(かく)の国を攻めるときに、虞(ぐ)の国は晋に通過する許可を出したが、虞の国と互いに助け合う関係にあった虢の国が滅びると、虞の国も滅びたという故事から。 「脣歯」は「唇歯」とも書く。 「輔車脣歯(輔車唇歯)」ともいう。

237/557

中国の周辺にいた異民族のこと。 漢民族が異民族を蔑んで呼んでいた名称。 「南蛮、東夷、西戎、北狄」という四方の異民族の呼称をまとめた言葉。

238/557

非常に大きな物の中にある、極めて小さいもののたとえ。 特に宇宙と比べ人間は小さくて儚いものだということのたとえ。 「滄海」は大海、「一粟」は一粒の粟のこと。 大海に浮かぶ一粒の粟という意味。

239/557

仏や菩薩は、世の人々を救うために、神の姿になって人々の前に現われるということ。 仏教と神道を結びつけた考え方で、神道の神は、仏が姿を変えたものであるということから。 「本地」は仏や菩薩の本当の姿。 「垂迹」は仏や菩薩が様々な姿になって現われるということ。

240/557

世俗を超越しようとする気高い志のこと。 または、高い地位に出世することを願う大きな志のこと。

241/557

体中から汗が出て、滴り落ちること。 「流汗」は汗が流れること、「淋漓」は滴り落ちる様子。

242/557

地形が険しく、攻めにくい地域のこと。 または、すぐれた能力のある者がとある地域を手に入れて、そこで権勢を振るうこと。 または、文章に勢いがあること。 「竜蟠」は竜がとぐろをまいてじっとしていること。 「虎踞」は虎がうずくまってじっとしていること。 「竜蟠」は「竜盤」とも書く。 「虎踞竜蟠(虎踞竜盤)」ともいう。

243/557

役に立たない人や物のたとえ。 「樗櫟」は木のおうちとくぬぎのこと。 おうちもくぬぎも木材としては使えないという意味から。 主に自分のことを謙遜していう言葉。

244/557

自由を奪われて自分の好きなように生きることが出来ない境遇のたとえ。 籠の中の鳥と檻の中の猿という意味から。 「檻猿籠鳥」ともいう。

245/557

世間を知らず、経験や知識が少ないために、取るに足りないことで得意になること。 普通の人からすれば日常的なものを、特別なものとして誇らしげに思うことをいう。 「遼東」は中国にある遼河という河の東の地方のこと。 「豕」は豚のこと。 遼東の農家に頭の白い豚が生まれ、農民は特別なものだと思い天子に献上しようとしたが、道中で見かけた豚の群れは皆頭が白く、他の地方ではごく普通のことと知り、自身の無知を恥じて帰ったという故事から。

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旅先や道中で災難にあうこと。 「陳」と「蔡」はどちらも国の名前。 中国の思想家の孔子が遊説の旅の道中、陳と蔡の国境の近くで兵に囲まれ、身動きが取れなくなったうえに、食料が尽きて苦労したという故事から。

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心配ごとがなくなって、将来に希望がもてるようになること。 「撥雲」は日の光を遮る暗く厚い雲が晴れるということで、心配ごとがなくなることのたとえ。 暗い雲が晴れて日の光がさすという意味から。 「雲を撥(ひら)き日(ひ)を見る」とも読む。

248/557

髪を振り乱して、気がふれた人のふりをすること。 「被髪」は束ねずに乱れた髪の毛。 「佯狂」は狂っているかのように見せかけること。 古代中国の殷の紂王の臣下である箕子は、暴政を行う紂王を諫(いさ)めたが聞き入れられなかった。 君主のもとを去れば、君主の悪が公になってしまい、また、自分自身を弁解することにもなってしまうと考えた箕子は、髪を乱し、狂ったふりをして奴隷となったという故事から。

249/557

風や雨が激しく、酷く冷たくて寒い様子。 または、乱世のこと。 「風雨」は風と雨が激しいという意味から嵐のこと。 「淒淒」は冷たくて寒い様子のことで、乱世のたとえとして用いることもある。 「風雨凄凄」とも書く。

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昔の漢民族が呼んでいた南方と北方の異民族の蔑称。 「南蛮」は南方の異民族の蔑称。 「北狄」は北方の異民族の蔑称。 「北狄南蛮」ともいう。

251/557

大いに喜んで小躍りすること。 「鳧趨」は鳥のかもが小走りに走ることで、かもは体を左右に揺らしながら小走りするということから、小躍りする様子のたとえ。 「雀躍」は鳥の雀が踊ること。

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普通の人。 または、人材や物がたくさん余っていること。 「斗量」はますで量を量ること。 「帚掃」はほうきで掃くこと。 どちらも余っていることのたとえで、自分のことを謙遜していう言葉。

253/557

ちょっとしたことに驚いたり怯えたりすることのたとえ。 「風声」は風の音。 「鶴唳」は鶴の鳴き声。 前秦の符堅の軍が東晋の軍に敗れて逃げるとき、兵たちは風の音や鶴の鳴き声のようなわずかな音でも、敵軍の追撃だと思い恐れたという故事から。 「鶴唳風声」ともいう。

254/557

非常に珍しいもののたとえ。 伝説上の霊獣の麒麟の角と、鳳凰の嘴という意味から。

255/557

疲れ果てること。 「困憊」は酷く疲れて弱ること。

256/557

最初は小さい力のものが、成長して強大になり手に負えなくなること。 「星火」は星の光のように小さなもの。 「燎原」は広野を焼き払うこと。 反乱や一揆が次第に大きくなっていき、防げなくなることをたとえたもの。

257/557

詩文を作るときに、細かい部分の技巧を必要以上にこだわること。 または、細かい部分の技巧にこだわって飾っただけの内容のない詩文のこと。 「彫」と「刻」はどちらも刻み込むという意味。 「彫虫」は虫に文字を刻み込むこと。または、一説には非常に複雑な書体の虫書のこと。 「篆」は漢字の書体の一つで、非常に複雑な書体。 「篆刻」は木などに篆書の文字を刻み込むこと。 非常に複雑な書体で書いただけの文章という意味から。 「雕虫篆刻」とも書く。

258/557

多数の困難が待ち受けていること。 「千」や「万」は数が非常に多いことのたとえ。 「荊」と「棘」はいばらのことで、とげがある植物を言い表す言葉。 進む予定の道に数え切れないほどのいばらがあるという意味から。

259/557

公正で厳しく批評する春秋筆法を評する言葉。 「筆削」は必要な言葉を書き足したり、不必要な言葉を削ったりすること。 「褒貶」はよいところは褒め、悪いところは貶すこと。

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形式や規則、礼儀、手続きが複雑で面倒くさいこと。 「繁文」は細かく複雑な飾りや、分かりづらい規則のこと。 「縟礼」は複雑で分かりづらい礼儀や作法のこと。 「繁縟」と略して使うこともある言葉。

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残虐な王や為政者のこと。 「桀」は殷の紂王と同じく、暴君の代名詞になっている夏王朝の桀王のこと。

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困難を克服しながら前進すること。 「披」と「斬」はどちらも切り開く、「荊」と「棘」はどちらもいばらのことで、いばらの道を切り開いて先にすすむという意味から。

263/557

身分が高く財産がある人の服装。または、常にとても富貴な様子。 「軽裘」は軽くて高級で丈夫な皮ごろも。 「肥馬」は肥え太った立派な馬。 「肥馬軽裘」ともいう。

264/557

仲が良く美しい兄弟の情のこと。 「棣」は庭梅のこと。 「鄂」は花のがくのこと。 庭梅の花はがくが寄り添って美しく咲くことから。

265/557

神仏へのお祈りや神聖な儀式の前に飲食や行動を慎み、水で髪や体を洗い心身を清めること。 「沐浴」は水で髪や体などを洗って身を清めること。 「抒溷」はけがれを取り除くこと。

266/557

思うまま横暴に振る舞うこと。 または、臣下が好き勝手に振る舞い、君主の力をこえること。 「飛揚」は猛禽類の鳥が舞い上がること。 「跋扈」は魚を捕まえるための竹垣の罠を飛び越えて逃げること。 悪人などが、常識や規則などを無視して好き勝手に行動することをいう。

267/557

世の中が平和なことのたとえ。 「恬」は心が穏やかな様子。 文官は心安らかに落ち着いていて、武官は日々を楽しんでいるということから。

268/557

師匠や共に学ぶ友人もなく、一人で学問をすることは、見識が狭くなり、他人の意見を聞こうとしなくなるということ。 「孤陋」は見識が狭く、考えや態度を変えようとしないこと。 「独学固陋」とも書く。

269/557

『書経』の中にある四つの文体の名前。 または、『書経』の篇名の併称。 または、経典ということ。 「典」は時代が変わっても通用する軌範、尭典と舜典のこと。 「謨」は治世のあり方、大禹謨、皐陶謨、益稷謨の三つ。 「訓」は君主を導くための教え。 「誥」は臣下に対する教え。

270/557

危険や苦労があるときに助け合える兄弟の深い情愛のこと。 「鴒」は兄弟仲がよいされている水鳥の鶺鴒のこと。 「鴒原」は水辺にいるはずの鶺鴒が高原で鳴いているような危険な状況のこと。

271/557

ご馳走を食べること。 または、良い食事ができる身分になること。 「持粱」はご馳走が盛られている食器を手にもつこと。 「歯肥」は肥えた肉を噛むこと。 「梁(りょう)を持(じ)して肥(ひ)を歯(くら)う」とも読む。

272/557

色々なところに悪人がいること。 「蠹」は木を食べる害虫の木食い虫。 「棊」は囲碁の碁盤の上にある碁石。 碁盤の上の碁石のように、木食い虫がたくさんいるという意味から。

273/557

梅の花のこと。または、清く澄んだ心を持った人のたとえ。 梅の花は雪の残る冬の終わりに、白く美しく咲くことから。 「氷姿」は「冰姿」とも書く。 「雪魄氷姿(雪魄冰姿)」ともいう。

274/557

汚れがなく、上品で趣のある文具のこと。 または、そのような文具で詩文を書き写すこと。 「氷甌」は氷でできたかめ。 「雪椀」は雪でできたお椀。 「冰甌雪椀」とも書く。

275/557

漢字の部首の総称。 「偏」は漢字の左側の部分、へん。 「旁」は漢字の右側の部分、つくり。 「冠」は漢字の上部分、かんむり。 「脚」は漢字の下部分、あし。 漢字の部首は他にもあるが、それらを一まとめにしていう言葉。 「偏傍冠脚」とも書く。

276/557

天子の側近として仕えること。 「天顔」は天子の顔。 「咫尺」の「咫」は長さの八寸、「尺」は十寸のことから、「咫尺」は非常に近いことのたとえ。

277/557

立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能のある人を招くこと。 または、立場が上の人が、立場が下の人に礼を尽くして仕事の依頼をすること。 「三顧」は三回訪問することで、古代中国の三国時代に、諸葛亮を迎え入れるために、劉備本人が三回訪問したという故事から。

278/557

精神だけでなく、肉体からの制約からも解放された完全な悟りの境地のこと。 「無余」は何も残っていないこと。 「涅槃」は煩悩を完全に捨て去った悟りの境地のこと。

279/557

何の問題もなく簡単にできることのたとえ。 「彗氾」は水溜りを箒で掃くこと。 「画塗」は刀を使って泥に線を引くこと。

280/557

たくさんの花のこと。 または、たくさんの花が咲き乱れていること。 「千」と「万」は数が多いことのたとえ。 「朶」は花が咲いている枝。

281/557

かやぶきの垣根のある家の物寂しい様子。 「茅堵」はかやぶきの垣根がある粗末な家のことで、田舎の家をいう。 「蕭然」はひっそりとしていて物寂しい様子。

282/557

旅をしているもの同士が偶然の出会いから知り合いになること。 「萍」は浮き草のこと。 偶然の出会いを浮き草と流れる水にたとえた言葉。

283/557

簡潔で理解しやすいこと。 「直截」は迷わずに決裁すること。 「簡明」は簡潔でわかりやすいこと。 文章や人の性質のことをいう。 「簡明直截」ともいう。

284/557

人の足音が響く様子。 または、予想もしていなかった来訪や便りがあることのたとえ。 「跫然」は足音が響き渡る様子。 人里離れた荒れ果てた場所で道に迷うと、人の足音が聞こえるだけでも喜ぶという意味から。

285/557

苦労や困難があっても決して諦めることがないこと。 「不屈」と「不撓」はどちらも決して屈しない、諦めないという意味。 似た意味の語を重ねて強調した言葉。 「不屈不撓」ともいう。

286/557

互いに深い関係で繋がっていて、一方が滅びるともう一方も危険な状態になること。 「脣」は唇のこと。 唇と歯は互いに助け合う関係であり、唇が無くなると歯は寒くなるということから。 古代中国の虞の宮之奇が、虞とカクの国の関係をたとえていった故事から。

287/557

心が広く穏やかな人は、体も大きく落ち着いて見えるということ。 「心広」は心が大きく広いこと。 「体胖」は体が大きくのびのびとしていること。 「心(こころ)広ければ体(たい)胖(ゆた)かなり」とも読む。

288/557

理由もなく、どうなるかも考えずに自然に手を加えて害すること。 無闇に自然に手を加えるべきではないという戒め。 「鳧」は鳥の鴨のこと。 足の長い鶴の足を切って、足の短い鴨に継ぎ足して長くしても意味はないということから。 「鶴(つる)を断ちて鳧(ふ)に続(つ)ぐ」とも読む。

289/557

月日が過ぎていくこと。または、驚くほどはやく老いていくこと。 「日月」は時、時間のこと。 「逾邁」は経過するや、過ぎていくという意味。

290/557

朝廷の君主の面前で、おじけづくことなく、堂々と相手の非を諫(いさ)める行為。 「面折」は面と向かっての公然たる非難や責め。 「廷諍」は朝廷の君主の前での論争や争論。 「廷諍」は「廷争」とも書く。 「廷諍面折(廷争面折)」ともいう。

291/557

妻が固く貞操を守り続けること。 「束髪」は髪の毛を束ねること。 「封帛」は白い絹で包んで封印すること。 中国の唐の時代の賈直言は、他人の罪の連帯で処罰されて左遷されることになり、若い妻に再婚するようにいうと、白い絹で髪を束ねて封印して賈直言に署名させ、これを守り続けると誓った。 二十年後に賈直言が戻ると封印されたままだったという故事から。

292/557

うるさいだけで理解できない言葉という意味。 話している内容がわからない外国語を蔑んでいう言葉。 「南蛮」は南方の異民族の蔑称。 「鴃舌」は百舌(もず)のさえずりのこと。 南方の異民族がよくわからない言葉で話している様子を、百舌の騒がしい鳴き声にたとえたもの。

293/557

生き生きと元気に満ち溢れている様子。 「生気」は元気や活力のこと。 「溌溂」は動作や表情が元気に溢れている様子。

294/557

大切なことを忘れて、必要の無いことを重要視すること。 または、何かをするときに非常に苦労すること。 「爛額」は額が爛(ただ)れること。 「焦頭」は頭を焦がすこと。 火事のときに消火や救助をしてくれた人には感謝して、防火方法を教えてくれた人には感謝せず、加えて防火もしていなかったという故事から。 「焦頭爛額」ともいう。

295/557

非常にすぐれた人や物に、わずかな欠点があること。 「白玉」は白い宝石。 「微瑕」は少しきずがあること。 白く美しい宝石に少しだけきずがあるという意味から。

296/557

「鳳凰」はおおとりのことで、「鳳」は雄、「凰」は雌とされ、つがいになって飛ぶことから、夫婦の中がとてもよいこと。 または、徳の高い天子の下に、賢臣が多く集まること。

297/557

この世に類をみない貴重な宝物のこと。 「隋珠」は随侯が贈られた宝玉、「和璧」は卞和が見つけた原石から磨き出された宝玉のことで、どちらも貴重な宝物のこと。 「隋珠」は「随珠」とも書く。

298/557

極めて深い谷のこと。 「仞」は長さの単位で、長さの単位の「尋」と同じ長さ。 「一仞」はおおよそ五尺から八尺の範囲で様々な説がある。 「千仞」は「千尋」とも、「谿」は「谷」とも書く。

299/557

臣下が自身の君主を厳しく諫(いさ)めること。 「折檻」は手すりが折れること。 「諫言」は下の立場の者が、上の立場の者を諫(いさ)める言葉。 中国の前漢の時代の朱雲は、成帝がひいきにしている臣下は奸臣であり、切り捨てるべきだと諫(いさ)めた。 しかし、成帝はそれに怒り、朱雲を処刑するように命じると朱雲はそれに抵抗し、手すりにつかまったまま成帝を諫(いさ)め続けていると、手すりが折れたという故事から。 厳しく戒めるという意味の「折檻」の語源とされている。

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激怒する様子。 「眥裂」は眼を大きく見開くこと。 「髪指」は髪の毛が逆立つこと。

301/557

謙虚で慕われるような人格のたとえ。 「馮異」は後漢の将軍の名前で、馮異は他の将軍たちが手柄の話を始めると、大きな樹の下に移動して自身の功績を語ろうとしなかったという故事から。

302/557

安らかでやわらかい気分が満ち溢れている様子。 「和気」は和やかな気分やのどかな気分のこと。 「藹藹」は静かで落ち着いている気分のこと。

303/557

不自由のない生活のたとえ。または、贅沢な生活のたとえ。 飽きるくらいの十分な食料と暖かい衣服があって、生活に困らないという意味から。 「煖衣」は「暖衣」とも書く。 「煖衣飽食(暖衣飽食)」ともいう。

304/557

同時に二人の来客があること。 「連璧」は二つが一対になっている宝玉のことで、二人のすぐれた友人をたとえたもの。 「賁臨」は人が訪れることの敬称。

305/557

戦いが終わって平和になることの形容。 「倒載」は武器を上下逆に積むこと。 「干戈」は盾と矛のことから武器の総称。 殷の紂王を討伐した帰りに、武王が武器を逆に積み、刃を虎の皮で覆って戦いを二度としないと示した故事から。 「干戈(かんか)を倒載(とうさい)す」とも読む。

306/557

役に立たない人や物のたとえ。 「樗櫟」は木のおうちとくぬぎのこと。 おうちもくぬぎも木材としては使えないという意味から。 主に自分のことを謙遜していう言葉。

307/557

非常に困難なこと、ほぼ実現不可能なこと。 「撈」はすくい上げること。 海の底に落ちた一本の針をすくい上げるという意味から。

308/557

他人の横から口を出して邪魔をすること。 「旁」はそば、近い場所という意味。 「掣肘」は肘を引っ張るという意味から、仕事の邪魔をすること。 「旁(かたわ)らより時に肘(ひじ)を掣(ひ)く」とも読む。

309/557

良い条件が整っていれば物事は成功しやすいということ。 「多銭」は資金が豊富にあること。 「善賈」は商売がうまく行くこと。 資本が多くあれば商売はうまく行きやすいということから。 「多銭(たせん)、善く賈(こ)す」とも読む。

310/557

痛々しいほどに悲しみ、涙を流す様子。 「悽愴」は見ていられないほど悲しむこと。 「流涕」は涙を流すこと。 「凄愴流涕」とも、「淒愴流涕」とも書く。

311/557

心がとても広く、些細なことにこだわらずさっぱりとしていること。 心が大きく小さなことを気にしないという意味の「磊落」を重ねて強調した言葉。

312/557

並外れて素早いことのたとえ。 兎が巣から素早く飛び出したり、鴨が飛び上がる様子にたとえた言葉。 「兎(うさぎ)起(た)ち鳧(かも)挙(あ)がる」とも読む。

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隙が無いことのたとえ。 または、文章の初めから終わりまで一貫していることのたとえ。 「常山」は中国の河北省にある山のこと。 兵法で、前後の陣や、左右の陣が互いに呼応して戦う隙のない戦法のこと。 常山に住んでいるとされる両頭の蛇は、頭を攻撃すれば尾で反撃して、尾を攻撃すれば頭で反撃して、体を攻撃すれば頭と尾で反撃するので隙が無いということから。

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午後まで休むことなく、昼食すら食べずに働くこと。 また、精一杯努力して働くことのたとえ。 「日昃」は現在の午後二時頃のこと。

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上半身を脱いで裸になり、罪人を罰するための荊の鞭を背負い、自ら罰してほしいと心から謝罪すること。 「肉袒」は上半身を脱ぎ裸になることで、どんな罰でも受けるという降伏の意思を表すこと。 「負荊」は罪人を鞭打ちするための荊の鞭を背負うこと。 「肉袒(にくたん)して荊(けい)を負う」とも読む。

316/557

君主の徳によって自然と民衆が従うこと。 「草偃」は草がなびくことで、風が吹けばそれに従い草がなびくという意味。

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動きが素早く、気が荒く、強いこと。 「剽疾」は動きが速いこと。 「軽悍」は動きが速く、気が強いこと。

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賢者や英雄が集結することのたとえ。 「鸞」は鳳凰に似ている伝説の霊鳥のこと。 「鳳」は伝説の霊鳥の鳳凰のこと。 賢者や英雄などのすぐれた人を「鸞」と「鳳」にたとえもので、それらが飛来するという意味から。

319/557

数が少なく弱い兵力や軍備のこと。 「螳螂」はかまきりのこと。 「衛」は防衛、守備をする人のこと。 「螳螂」は「蟷螂」とも書く。

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守りが非常に堅いことのたとえ。 または、絶対に壊すことができないもののたとえ。 「牆」は垣根のことで、銅の垣根と鉄の壁という意味から。

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魅了して夢中にすること。または、文章の作り方が自在で巧みなこと。 「詭」と「譎」はどちらもいつわるやあやしいという意味で、波や雲のように自在に形を変えて、人の目を奪うということから。 「波のごとく詭(あや)しく雲のごとく譎(あや)し」とも読む。

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はっきりと見えず、ぼんやりとしている様子。 「漠」は薄暗い様子。 「濛」は雨やもやなどで薄暗く、ぼんやりしていること。

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同じ類の者はお互いに気持ちや考えが通じ合うということ。 または、人の歌声や音が響き渡ること。 「竜吟」は竜が鳴くこと、「虎嘯」は虎が吠えることで、竜が鳴けば雲が生まれ、虎が吠えれば風が生まれるといわれる。

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必要以上に礼儀正しくて丁寧なこと。または、表面は非常に丁寧で礼儀正しいが、実際は尊大なために無礼なこと。

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他のものよりも非常にすぐれていることのたとえ。 または、馬などが非常に速く走る様子。 「超軼」は他よりもずば抜けてすぐれていること。 「絶塵」は塵が一つも立たないほど、非常に速い速度で走ること。 馬の群の中から一頭が非常に速く走りぬけるという意味から。 「超逸絶塵」とも書く。

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書の筆遣いが素晴らしく、筆跡が生き生きとしている様子。 「雲」はいろいろなものに変化すること。 「竜」は神秘的で、力強く勇ましい動きのこと。 素晴らしい筆遣いを雲と竜にたとえたもの。

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健康でいつまでも長生きすること。 「万寿」は一万年の寿命ということから、長生きのたとえ。 「無疆」は限りがないということ。 限りなく長生きしますようにと、長寿を祝う言葉。 「万寿(ばんじゅ)疆(きわま)り無し」とも読む。

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戦いが何度も続いて起こることのたとえ。 「旌」と「旗」はどちらも旗、「巻」は巻く、「舒」は広げるという意味で、軍旗を巻いたり、広げたりするということから、戦いに明け暮れるというたとえ。

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なんの関係も無いのに、災難に巻き込まれることや巻き添えにあうこと。 語源が諸説ある言葉。 罪を犯した桓タイが逃げるときに、池に宝珠を投げ込み、それを探すために池をさらったために魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事の消火のために池の水を使ったために、干上がって魚が全滅したという故事から。 または、城門の火事が広がり、池中魚という名前の人の家に燃え移って死んだという故事から。 「池魚之禍」とも書く。

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無意味な努力のこと。または、やっても充実感がないことのたとえ。 「鏤」は刻むこと。 影を吹き飛ばそうとしたり、塵に刻み目をいれようしたりすることから。 「影を吹き塵(ちり)に鏤(ちりば)む」とも読む。 「鏤塵吹影」ともいう。

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女性の月経のこと。 「桃花」は女性を意味する雅語。 「癸」は十干の十番目である”みずのと”のこと。 「癸水」は月経のこと。

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文字を書き間違えること。 「魯」と「魚」、「亥」と「豕」の字の形が似ていて間違えやすいことから。

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性格がひねくれていて、悪知恵がはたらくこと。 「奸佞」は心がひねくれていて悪賢く、人にこびへつらうこと。 「邪智」は悪いことにだけよく働く知恵。 「奸佞」は「姦佞」とも、「邪智」は「邪知」とも書く。 「邪智奸佞」ともいう。

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多くの人たちの話題となり、人気を集めること。 「膾」は生肉を細かく刻んだ食べ物、「炙」は炙り肉のことで、どちらも多くの人がご馳走として好んで食べることから。 「人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)する」とも読む。 「膾炙人口」ともいう。

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頼みとするところや支えてくれるものが何もないこと。 「無根」は根が無いこと、「無蔕」は蔕(へた)がないこと。 植物が根付くための根や果実をつけるための蔕がないことから。

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うるさいだけで役に立たない議論や、余計な表現が多い稚拙な文章のこと。 蛙(かえる)や蝉(せみ)の鳴き声は騒がしいだけで役に立たないという意味から。 「蝉噪蛙鳴」ともいう。

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物事を行うときは、まずは身近なことから始めるべきという教え。 または、提案した人が率先して物事を始めるべきであるということ。 「隗」は郭隗という人の名前。 中国の戦国時代の燕の昭王が、郭隗によい人材が欲しいと相談すると、郭隗は、自分を優遇すれば、愚かな自分でも優遇されると知った賢い者が集まると言った。 昭王は郭隗の言うとおりに、郭隗の家を建て替えて重用すると、多くの賢人が集まってきたという故事から。 「先(ま)ず隗(かい)従(よ)り始めよ」とも読む。

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心を合わせて協力すること。 「同心」は心を合わせること。 「戮力」は力を合わせること。 「心を同じくして力を戮(あわ)す」とも読む。 「戮力同心」ともいう。

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心を合わせて協力すること。 「同心」は心を合わせること。 「戮力」は力を合わせること。 「心を同じくして力を戮(あわ)す」とも読む。 「戮力同心」ともいう。

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大いに勇気を奮うこと。 「瞋目」は怒りで目をむき出すこと。 「張胆」は肝っ玉を太くすること。 恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構えをいう言葉。 「目を瞋(いから)し胆(きも)を張る」とも読む。

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体が痩せていて身長が低い体格のこと。 「痩身」は痩せている体。 「矮躯」は身長の低い体。

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気力と勇気に満ち溢れている様子。 「賁」と「育」はどちらも人の名前で、孟賁と夏育のこと。 孟賁と夏育はどちらも中国の秦の武王に仕え、二人とも怪力で勇気があることで有名。

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積み重ねた悪事の報いの災いが子孫にまで及ぶこと。 「積悪」はたくさん悪いことをすること。 「余殃」は悪事の報いが本人だけでなく、その子孫にまで及ぶこと。 「積悪の家には必ず余殃有り」という言葉を略した言葉。

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漢方医学で気を集中して力を込めると健康を保ち、元気や勇気が沸くとされているへそから三寸ほど下あたりのこと。 「丹田」はその箇所の名前。

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激しい恐怖を感じて震え上がること。 「悚然」は恐怖で立ち竦むこと。 髪の毛から骨の中まで恐怖を感じるという意味から。

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人間のこと。 「円頭」は丸い頭。 「方足」は四角い足。 古代中国では、頭は天を、足は大地をかたどっており、人と天地は似ている存在と考えられていたことから。 「円首方足」「円顱方趾(円顱方址)」「方趾円顱(方址円顱)」ともいう。

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中国の周辺民族で見られた代表的な髪型。 清朝では漢民族にも強制された髪型。 「剃」は剃ること、「辮」は髪を編むことで、頭の頭頂部を残して、周囲を剃って残った頭頂部を編んで後ろにたらした髪型。

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自身の信念を堅く守り抜くことのたとえ。 「仲連」は魯仲連という人の名前。 「蹈海」は海に飛び込んで自殺すること。 中国の春秋時代の斉の魯仲連は、趙の国で秦の軍に包囲された時に、「非道の国である秦が天下を取って悪政を行うのであれば、海に身を投げて自殺するつもりだ」と言った故事から。

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貧しい生活のたとえ。 「簇」と「斂」はどちらも集めるという意味で、「簇酒」は酒を少しずつ集めること、「斂衣」は布の端切れを集めること。 酒好きで貧しい辛洞は、杯に一杯ずつ酒をもらって酒樽にためて飲み、同じく貧しかった伊処士は、布の端切れを集めて縫い合わせて、服を作ったという故事から。

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物事が思い通りにうまくいくこと。 または、細かい要望に対して満足する結果で応えることができること。 痒い所に手が届くという意味。 「麻姑」は手の爪が鳥のように長い中国の伝説の仙女の名前。 「掻痒」は痒いところをかくということ。 漢の桓帝の時代、蔡経が「麻姑の爪で背中をかかせたら気持ちが良いにちがいない」と思ったという故事から。

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道理に反したことを言えば、道理に反した言葉が返ってくること。 または、道理に反した政治を行えば民衆から恨みの声が返ってくること。 「悖」はもとる、さからうという意味。 似ている四字熟語の「悖入悖出」は別の意味の言葉。

352/557

たくさんの人ににらまれること。 「万目」は多くの人の目という意味から、大勢の人のこと。 「睚眥」はにらむこと。

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両親が年をとって衰えたことに気がつき、悲しむこと。 「伯兪」は中国の漢の時代の人の名前。 「杖」は鞭のこと。 親孝行で知られていた伯兪は、過ちの罰として母親に鞭でたたかれたが、少しも痛みを感じなかったことに母親が老いて衰えたことを感じて泣いたという故事から。 「伯兪(はくゆ)杖(つえ)に泣く」とも読む。 「伯瑜泣杖」とも書く。

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書画の小さな切れ端やかけらのこと。 「零」と「尺」はどちらも少しという意味。 「零絹」は布の小さな切れ端のこと。 「尺楮」は紙の切れ端のこと。 「楮」は和紙の原料に使われる植物。

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意志と行動が矛盾していることのたとえ。 「轅」は前進する方向に向けるかじ棒のこと。 「轍」は車輪の跡のこと。 かじ棒は南を向いているのに、車輪の跡は北に向かって付いているという意味から。 「北轍南轅」ともいう。

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惜しむことなく豪快に大金を使うこと。 または、思い切りよく行動すること。 「一擲」は一度投げること。 「千金」は大金のこと。 賭け事の一度の勝負に大金を賭けることから。 「千金一擲」ともいう。

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その時々の状況に合わせて適切に対処すること。 「厲」は着物をたくし上げること。 「掲」は裾をからげること。 深い川を渡る時には着物をたくし上げ、浅い川を渡る時は裾をからげて渡ることから。 「深ければ厲(れい)し、浅ければ掲(けい)す」とも読む。

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強引に人の欠点を探すこと。または、人の欠点をなじることで、逆に自身の欠点を暴かれること。 「吹毛」は毛を吹くこと、「求疵」は傷を探すことで、わざわざ毛を吹き分けて、隠れている傷を探し出すという意味から。 「毛を吹いて疵(きず)を求む」とも読む。

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人に悪いことをする、さまざまな化け物のこと。 または、私欲を満たすために悪事を働く者たちのたとえ。 「魑魅」は山林の精気から生じるとされる化け物。 「魍魎」は山川や木石などの自然物の精気から生じるとされる化け物のこと。

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弁論や文章が広大で立派なこと。 または、大きく立派な内容だが、実現することのできない無駄な議論や努力のこと。 「談天」は天について議論すること。 「雕竜」は竜の彫刻のように、美しく文章を飾ること。 中国の戦国時代の斉のスウ衍は天体について語り、スウセキは立派で美しい文章を書いていたことを、斉の人々が称賛したという故事から。 「天(てん)を談じて竜(りょう)を雕(ほ)る」とも読む。 「談天彫竜」とも書く。

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全身傷だらけなさま。または、激しく非難されて精神的にひどく痛めつけられていること。 「満身」はからだ全体。 「創」と「痍」はどちらも傷のこと。

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自分の地位や能力などを理解せず、思い上がることのたとえ。 または、自分の物ならどんなにつまらないものでも貴重に思えることのたとえ。 「弊帚」は使い古してぼろぼろになったほうきのこと。 自分の物ならぼろぼろになったほうきでも千金の価値があると考えるという意味から。 「弊帚」は「敝帚」とも書く。 「千金弊帚(千金敝帚)」ともいう。

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人生は短いので、夜遅くまで遊んで楽しもうという意味。 「秉燭」は手に灯りを持つこと。

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酒を軽く飲んで歌や詩を小声で口ずさむこと。 「浅酌」は少量の酒をたしなむ程度に軽く飲むこと。 「低唱」は歌を小さく低い声で歌うこと。 「低唱浅斟」「浅斟低唱」「浅酌微吟」ともいう。

365/557

真っ赤な血が垂れて落ちること。 「鮮血」は体から出たばかりの血。 「淋漓」は汗や血などの液体が垂れて落ちること。

366/557

天子の側近のこと。または、天子の威光に近づきすぎて怖れ多いこと。 「天威」は自然と恐れ従わせる天子の威厳。 「咫尺」の「咫」は長さの八寸、「尺」は十寸ということから、「咫尺」は非常に近いという意味。 天子の威光が非常に近くにあるという意味から。

367/557

この世の全てのものが変化し、生まれ消滅すること。 「天門」はこの世にあるものが生まれ出るとされる門。 「開闔」は開いたり閉まったりすること。 天門が開くと全てのものが生まれ、閉じると全てのものが消滅するといわれている。

368/557

世の人たちの心が恐れおののいて動揺していること。 「洶洶」はびくびくしたり、動揺したりすること。

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実力を発揮する機会がなく、功績を上げられないことを嘆くこと。 または、特にやることもなく、無駄に日々を過ごすことを嘆くこと。 「髀肉」は太ももについた贅肉。 中国の三国時代の蜀の劉備は、劉表のもとに身を寄せたが、劉表は劉備の野心を警戒して重用することなく、戦場に出る機会もなくなり、常に戦場に出て締まっていた太ももに贅肉がついたと、劉備が嘆いた故事から。 「髀肉」は「脾肉」、「嘆」は「歎」とも書く。

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班ショウヨが、天子と同じ車に乗ることを断ったという故事のこと。 または、主君の行いを諫(いさ)める賢い女性のこと。 「班女」は班ショウヨのことで、班は姓名、ショウヨは女官の地位の名称。 「輦」は天子の乗る車。 中国の漢の成帝は、寵愛していた班ショウヨに車に一緒に乗るように言ったが、すぐれた君主はすぐれた臣下と車に乗り、王朝が滅びる前の君主は愛人を車に乗せると言って辞退したという故事から。 「班女(はんじょ)輦(れん)を辞(じ)す」とも読む。

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非難や中傷の言葉が、すこしずつ信じられていくこと。 「浸潤」は液体が染み込むという意味から、思想などが人々の間に染み込んで広がることのたとえ。

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力のある人に付き従うことで、自身も出世すること。 「攀」はすがりつくということ。 「鳳」は中国の伝説上の鳥の鳳凰の雄のこと。 竜や鳳凰にしがみつくという意味から。 「竜(りょう)に攀(よ)じ鳳(ほう)に附(つ)く」とも読む。

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他の比ではないほどの激しい勢いや力のたとえ。 「雷霆」は雷が轟くこと。 「鈞」は重さの単位のことで、「万鈞」は非常に重いこと。

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天運に恵まれないために非常に苦労すること。 または、天の運行が停滞すること。 「天歩」は天の運行。または、国家の運命のこと。 「艱難」は災難や苦労という意味。

375/557

基礎をよく固めて、不安定にならないようにすること。 「根」と「柢」はどちらも木の根のことで、物事の基礎のたとえ。 根を深く強固なものにするという意味から。 「根(ね)を深くして柢(てい)を固くす」とも読む。 「深根固蔕」とも書く。

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様々な経験をしていて、様々な知識を深く知っていること。 「博識」は広い知識があること。 「洽聞」は様々な経験があること。 「博識広聞」とも書く。

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両親を大切にすること。 夏は親の枕元で、扇で扇いで涼しくして、冬は自分の体温で親の布団を温めて、親が過ごしやすいようにするということから。 「枕を扇(あお)ぎ衾(ふすま)を温(あたた)む」とも読む。

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国を支える重職を担う人材のたとえ。 「大廈」は屋根があって大きい建物。 「棟」と「梁」は屋根を支えるための棟木と梁のことで、どちらも家屋を支える大事なものということから。

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激しく驚いて呆れること。 「瞠目」は大きく目を開いて見るということから、驚くこと。 「結舌」は舌を結ぶという意味から、舌が動かなくなって、声も出ない様子。

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天子の徳や威光、恩恵などが国中に広く行き渡ること。 「洽」と「暢」はどちらも広く行き渡るという意味。

381/557

とても人気があり評判がいいことのたとえ。 または、容姿が美しい少年のたとえ。 藩岳という人物は容姿がとても美しく、町を歩くだけで婦人たちに車が一杯になるほどの果物を投げられたという故事から。

382/557

軍人の生活のことをいい、戦争をして日々をせわしなく送ること。 「兵馬」は武器と馬という意味から戦争のこと。 「倥偬」は忙しいという意味。

383/557

部下の苦労をねぎらって大切にすること。 「吮」は口で直接吸い出すこと。 「疽」は悪性の腫物。 中国の戦国時代の楚の将軍の呉起は、悪性の腫物で苦しんでいる部下の血膿を吸い取ってやったという故事から。

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非常にすぐれた才能。 「羈」はつなぐという意味。 誰にも繋ぎとめることが出来ない才能という意味から。

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普段の生活の中でも、何かあった時のための準備を怠らないこと。 「不懈」は怠らない、油断しないということ。 「常に備えて懈(おこた)らず」とも読む。

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天子の徳が積み重なっていって、その恩恵が広く行き渡ること。 「重熙」は光明を積み重ねること。 「累洽」は恩恵が広く行き渡ること。 何代もの間、善政が続いて平和な時代が長く続くという意味から。

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善悪とは関係なく、自分の主人に忠義を尽くすものだということ。 「跖」は中国の春秋時代の盗賊の盗跖のこと。 「狗」は動物の犬。 「尭」は中国の古代の聖天子の尭帝のこと。 盗跖の飼っている犬が尭帝に吠えかかるという意味から。 「跖(せき)の狗(いぬ)尭(ぎょう)に吠(ほ)ゆ」とも読む。

388/557

生きていても役に立たない人のこと。 そのような人を侮蔑するときに使う言葉。 走る屍骸と歩く肉という意味から。

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恥ずかしいと思うことなく、動揺することもなく悪行を行うこと。 「慙」と「愧」はどちらも恥じるという意味で、ともに「無」をつけて恥じることが無いという意味から。

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音が鳴り止んだ後の響きが細く長く続く様子。 または、詩、文、出来事の後に残る風情や余情のたとえ。 「余韻」は音が鳴り止んだ後の響き。 「嫋嫋」は音が細く長く続くこと。

391/557

兄弟や友人との仲がとても良いこと。 「対牀」は寝床を並べるという意味。 夜に雨の音を聞きながら寝床を並べて仲良く眠ることから。 「対牀夜雨」ともいう。

392/557

国の法律が乱れること。 または、国家としての基本的な部分を乱すこと。 「朝憲」は国家が制定した法律や規則。 「紊乱」はかき乱すこと。

393/557

迷うことなく、一途に突き進むこと。 「直往」はまっすぐ進むこと。 「邁進」は恐れることなく、勢いよく進むこと。

394/557

国が滅ぼされることを嘆くことのたとえ。 「銅駝」は銅製のラクダの像のこと。 「荊棘」は荊(いばら)、または荒れ果てること。 中国、晋の索靖は国が乱れることを予知し、「宮門に飾ったラクダの像も、やがて荒れ果てたいばらの中に埋もれるだろう」と嘆いたという故事から。 「銅駝の荊棘中に在るを歎く」を略した言葉。 「荊棘銅駝」ともいう。

395/557

夜は早い時間に寝て、朝は遅い時間まで寝ていること。 赤子や幼児の様子をいう。 「蚤」は早い時間、「晏」は遅い時間という意味。 「蚤(はや)く寝(い)ね晏(おそ)く起(お)く」とも読む。

396/557

かつてないほどの不幸な日のこと。 または、次々へと災厄に見舞われ、とてつもなく不幸なこと。 「年災」は天災で穀物がだめになること。 「月殃」は月の不運、報い、天罰などのこと。

397/557

すぐれた人物になる才能を秘めていること。 宝石の原石と精錬されていない鉱石との意から。 「璞玉」は、掘り出したばかりで磨かれていない宝玉の原石。 「渾金」は、あらがね、精錬されていない鉱石。 「渾金璞玉」ともいう。

398/557

体力や気力が少しずつ弱くなっていくこと。 「頽堕」はしっかりとしていない、だらしないこと。 「委靡」は衰えること。

399/557

人の道を外れた行いのこと。 「悖徳」は徳に背いたり、逆らったりすること。 「没倫」は人としての道徳をなくすこと。 「徳に悖(もと)り倫(みち)を没(ぼっ)す」とも読む。

400/557

それぞれの事情や心情を汲み取って、その中間を取ること。 「斟酌」は事情や心情を汲み取ること。 「折衷」は複数の中間を選び取ること。 「斟酌折中」とも書く。

401/557

色町で遊女や芸者と遊ぶこと。 「折花」は花を手で折って取ること。 「攀柳」は柳の木に登ること。 美しい女性を花にたとえ、色町には多くの柳の木が植えられていたということから。

402/557

力量が互角の者同士が激しい戦いを繰り広げること。 「攘」は払うこと。「搏」は殴ること。 竜が払い、虎が殴るということで、竜と虎が激しい戦いをするという意味から。

403/557

道理を基準に物事をはかり、自ら法を守ること。 「道揆」は道理に基づいて物事をはかることで、政治を行う上位の者への教訓。 「法守」は法を守ることで臣下など下位の者への教訓。

404/557

ゆったりと落ち着いていて、慌てる様子がないこと。 「余裕」は精神的にゆとりがあって落ち着いていること。 「綽綽」は落ち着いていて、慌てることがないこと。

405/557

心にしっかりと刻み込み、決して忘れることがないこと。 「銘肌」は皮膚に刻み込むこと。 「鏤骨」は骨に刻み込むこと。 肌・骨に刻み込むように、しっかりと記憶して忘れることがないという意味。

406/557

世間から離れてのんびりと暮らす隠者のたとえ。 「羊裘」は羊のかわごろも、「釣」は釣り針のこと。 羊のかわごろもを着て釣り糸を垂れることから。

407/557

大きくて高さのある建物のこと。 または、それらの建物が並び立っている様子。 「廈」は屋根のある大きな建物。 「楼」は二階建て以上の高さのある建物のこと。 高層ビル群や大きくて煌びやかな豪邸のこと。 「高楼大廈」ともいう。

408/557

大きな声で叫びながら叱り付けること。 「咄嗟」と「叱咤」はどちらも叱り付けるという意味。

409/557

一人で何人分もの働きをして素晴らしい結果を出すこと。 または、様々な分野で素晴らしい結果を出すこと。 「八面」は八つの顔。「六臂」は六つの腕。 三つの顔と六つの腕を持つ密教の阿修羅像から「三面六臂」という言葉が生まれ、そこからありとあらゆる方向という意味の「八面」に変化したもの。

410/557

苦労を分かち合った友人。親友、戦友。 「袍」は中に綿を入れた服のことで、防寒用の服。 「沢」は汗取りのことで、下着のこと。 衣服を貸し合って助けあった友人という意味から。

411/557

戦いに負けて慌てて逃げる様子。 「轍乱」は車輪の跡が乱れること。 「旗靡」は旗が横たわること。 戦争で使う兵車の車輪の跡が乱れていて、軍旗が倒れているという意味から。

412/557

取るに足らないような些細なことが大きな問題の原因になることのたとえ。 「螻蟻」は螻蛄(けら)と蟻(あり)のこと。 「潰堤」は堤防が破れること。 螻蛄や蟻が開けた小さな穴が大きな堤防を決壊させて、洪水が起こる原因になるということから。

413/557

老いても昔と同じように大志を抱き続けること。 「老驥」は老いた駿馬のこと。 「櫪」はくぬぎの木。床下の横木に使うことから馬屋のこと。 三国志の曹操の詩の一節で、若い頃に千里を駆けた駿馬が老いて馬屋に伏していても、千里を駆ける志を捨てないということから。

414/557

悲しみの中にあっても、雄雄しい気概に満ちていること。 「悲壮」は悲しみの中でも勇ましい意気があること。 「淋漓」は水などが滴ることや、意気が満ちること。

415/557

未開の土地の野蛮な異民族のような為政者のこと。 「貉」は中国の北の異民族の蔑称。

416/557

なかなか寝付けずに、何度も寝返りをうつこと。 心配や悩みなどで眠れない様子をいう。 「輾転」と「反側」はどちらも寝返りをうつこと。 「展転反側」とも書く。

417/557

冷酷で残忍な性質の人のこと。 「豺」は気性の荒い、狼に似た山犬のこと。 蜂のように細い目と山犬のような気味の悪い声という意味から。

418/557

実際に何の役にも立たないもののこと。 「塵飯」は塵の飯。 「塗羹」は泥の吸い物。 こどもがままごと遊びで作った、見た目だけで食べられない食事ということから。

419/557

歴史に名前が残るような功績や手柄のこと。 「竹帛」は竹の札と綿布のことで、紙のない時代には竹帛に文字を書いていたことから、歴史書や書物のこと。 「名(な)を竹帛(ちくはく)に垂(た)る」とも読む。

420/557

普通の人でも賢者の指示に従って行動すれば、功績をあげることが出来るということ。 「蒼蠅」は青ばえ。 「驥」は駿馬のことで、一日で千里もの距離を走ることが出来るとされるすぐれた馬のこと。 駿馬の尾に止まれば、青ばえも千里を移動することが出来るという意味から。 「青蠅驥尾に付す」を略した言葉で、謙遜する表現として、「驥尾に付す」との形で用いることもある言葉。

421/557

母と子の気持ちがお互いに通じることのたとえ。 「噬指」は指を噛む。 「棄薪」は薪(たきぎ)を捨てるという意味。 後漢の蔡順が薪を採りに行っている間に来客があって、母が困って自分の指を噛むと、その気持ちが通じ、蔡順が薪を捨てて帰ってきたという故事から。

422/557

とても贅沢で豪勢な宴会のこと。 「肉山」は積み上げた生肉の山。 「脯林」は林のように多くの干し肉が吊るされていること。

423/557

恐れを感じて震える様子。 「戦戦」は恐怖で震えること。 「兢兢」は恐れて慎んだ態度をとること。 「戦々兢々」「戦戦恐恐」「戦々恐々」とも書く。

424/557

戦場全体に軍隊を展開すること。 「白荼」は植物のちがやの白い花。 白い色の軍隊と、赤い色の軍隊が向き合っている様子を白いちがやの花と、赤い火にたとえたもの。 中国の春秋時代の呉と晋の戦争で、互いに一万の方陣を作ったのを見てたとえたという故事から。

425/557

美しい宝石のこと。 または、素晴らしい人物や詩文のたとえ。 「琳琅」は美しい宝石や詩文のこと。

426/557

天子の使者が命令の書かれた文書を持ってくること。 「鳳凰」は聖天子が出現する時に現れるとされる想像上の鳥。 「銜」は口にくわえるという意味。 鳳凰が勅書を口にくわえて持ってくるという意味からきた言葉。

427/557

容姿の美しい人のこと。 「曼理」はきめの細かい肌。 「皓歯」は白くて綺麗な歯。

428/557

無意味な努力のこと。または、やっても充実感がないことのたとえ。 「鏤」は刻むこと。 影を吹き飛ばそうとしたり、塵に刻み目をいれようしたりすることから。 「影を吹き塵(ちり)に鏤(ちりば)む」とも読む。 「鏤塵吹影」ともいう。

429/557

他人の弱みや窮地を狙って追い討ちをかけること。 「穽」は落とし穴のこと。 落とし穴に落ちた人を狙って石を落とすという意味から。

430/557

災害を防ぐために、事前に準備しておくこと。 「桑土」は桑の根、「綢繆」は囲ってふさぐこと。 嵐が来る前に桑の根を使って、鳥が巣の穴をふさぐということから。

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宴会で穏やかな雰囲気で、交渉が有利になるようにすること。 食事をしながら外交交渉を行うことをいう。 「樽俎」は酒樽と肉料理をのせるための台のことから、豪華な食事のたとえ。 「折衝」は敵の勢いを弱めるということ。または、交渉や駆け引きのことをいう。 「尊俎折衝」とも書く。

432/557

乱暴で品のない言葉を使い、相手のことを悪く言うこと。 「罵詈」は汚い言葉で相手の悪口を言うこと。 「讒謗」は他人のことを悪く言うこと。 「讒謗罵詈」ともいう。

433/557

水があぶらのように深く静かによどんで、深緑色に見える様子。 「渟」は水が流れずに留まっていること。 「膏」はあぶらのこと。 「湛碧」は深緑色の水が満ちている様子。

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女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること。また、そのことに不満を持つこと。 美しい鳳(おおとり)が鴉(からす)に嫁ぐことから。 妻が夫のことをいい加減に扱うことにも用いる言葉。 「随鴉彩鳳」ともいう。

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見渡すかぎり全てがひっそりとしていて寂しい様子。 「満目」は視認できる距離全て。 「蕭条」は静かで寂しい様子。

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美しいものが目の前にたくさんあること。 「琳琅」は美しい宝石や詩文のこと。 「琳琅(りんろう)目(め)に満(み)つ」とも読む。

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天子や貴族などの地位の高い人が乗る船。 「鷁」は中国の想像上の水鳥で、強風の中でも難なく飛ぶことができるので、水難避けとされている。 竜や鷁の頭の彫り物を船首に飾りつけた二艘で一対の船で、平安時代から室町時代に祭礼や宮中の行事、貴族の水遊びなどで使われていたとされている。 「竜」は「りゅう」、首は「す」とも読む。

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中国の晋の時代、朝廷が設置した官吏を養成する大学で、評価が高かった敦煌出身の五人の総称。 「燉煌五竜」とも書く。

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国が繁栄して、全てのものが栄えて豊かになること。 「殷富」は繁栄して豊かになること。

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神道と仏教の信仰をうまく融合させること。 「混淆」は区別できないほどに入り混じること。 「神仏混交」とも書く。

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文章の文字や語句を美しく飾ること。 「雕文」は模様を彫りきざむこと。 「刻」は木に彫りきざむこと。 「鏤」は金属に彫りきざむこと。 様々な美しい彫刻のように詩文を飾るという意味から。

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特に目立つ長所がなく、役に立たない人のこと。 「冢」は墓のこと。 墓の中の骨のような人という意味から。 中国の後漢の劉備が徐州の長官を辞退して、袁術に任せようとしたときに、孔融が袁術をあざけって言ったとされる言葉から。

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朝廷の君主の面前で、おじけづくことなく、堂々と相手の非を諫(いさ)める行為。 「面折」は面と向かっての公然たる非難や責め。 「廷諍」は朝廷の君主の前での論争や争論。 「廷諍」は「廷争」とも書く。 「廷諍面折(廷争面折)」ともいう。

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国家や物事が内側から壊れてなくなること。 「魚爛」は魚が内臓から腐ること。 「土崩」は積み上げた土が崩れること。 「土崩魚爛」ともいう。

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役に立たないもののたとえ。 「駢拇」は足の親指と人差し指がくっついて一つになっていること。 「枝指」は手の親指が枝分かれして、親指の隣に六本目の指があること。

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すぐれた才能をもつ人物が登用されずにいることのたとえ。 「井渫」の「渫」は水の底にあるごみを取り除くという意味から、「井渫」はきれいな井戸水のこと。 「不食」は飲むためには用いないこと。 ごみなどのないきれいな井戸水があるのに、飲むための水として用いないという意味から。 「井(せい)渫(さら)えども食らわれず」とも読む。

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人の品性が清らかで気高く、普通の人よりも優れていることのたとえ。 「瑶」と「瓊」はどちらも宝石のことで、宝石のように美しい林と樹のこと。 高潔なものを美しい林や樹にたとえた言葉。

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誰にも縛られることなく、好き勝手に振る舞うこと。 「羈」はつなぐという意味から「不羈」は何ものにも縛られないこと。 「奔放不羈」ともいう。

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他人の地位や成功を横取りすること。または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲の巣に鳩が住み着くという意味から。

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長江は陣地を守るための天然の堀であるということ。 「長江」は中国の川の名前、揚子江のこと。 「天塹」は敵の攻撃を防ぐ天然の塹壕、堀のこと。

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天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れているときに、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が作ったとされる鏡。 この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて岩戸の外に引き出したとされる神話がある。 日本の天皇家の皇位継承の象徴の三種の神器の一つ。 他の二つは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。

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他人の地位や成功を横取りすること。 または、嫁いできた女性が夫の家をわが家とすることのたとえ。 巣作りが得意な鵲(かささぎ)の巣に鳩(はと)が住み着くことから。 「鵲巣鳩居」ともいう。

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明るくて綺麗で勉強に集中できる書斎のこと。 明るい日の光が入る窓と塵一つ無く清潔に保たれている机という意味から。 「浄几」は「浄机」とも書く。

454/557

世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 大海だった所が桑畑になるような変化が起こるとの意から。 「滄海変じて桑田と為る」を略した言葉。 「桑田滄海」「桑海之変」「滄桑之変」「桑田碧海」「滄桑之変」などともいう。

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法に背くような荒々しい振る舞いのこと。 どちらも法に背くような穏やかでない行動をすること。 「狼藉」の本来の意味は狼が草を敷いて寝た後の散らかっている様子のことだが、ここでは荒々しい振る舞いという意味。 似ている意味のものを重ねて強調した言葉。

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自分の身の程に相応しい仕事のたとえ。 「屠」は獣を殺すこと。 「肆」は店のこと。 羊を殺して肉を売る店という意味。 中国の春秋時代、国を追われた楚の昭王のお供をしていた羊肉屋の説は、昭王が王に返り咲いたときに褒賞を与えられたが、「羊肉屋に戻れるだけで十分です」と言い、褒賞を受け取らなかったという故事から。

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非常に辛い苦労をすること。 「胼胝」は皮膚が厚く固くなるたこやひび、あかぎれ。 たこやひび、あかぎれができるほどに苦労するという意味から。

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どんな小さなことも見逃さない非常に優れた洞察力のたとえ。 「秋毫」は秋に生え変わる獣の細い毛のことで、その細い毛さえも見分けることができるという意味から。

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見識がないことのたとえ。また、自分にはよくわからないことであっても、すぐに周りの意見に合わせることのたとえ。 「矮子」は背の低い人のこと。 「看戯」は観劇のこと。 背が低くて舞台が見えないのに、周りの人の批評を聞いて賛同するという意味から。

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影響がまったくないこと。 または、自分の実力を考えずに、無謀な行動をすること。 「子」は小さいという意味。 小さな蚊が大きな牛を刺すという意味から。 「蚊子(ぶんし)、牛を咬(か)む」とも読む。

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きつい労働の様子。 「霑」は濡れること。 「塗」は泥で汚れること。 泥まみれになり、びしょぬれになって畑仕事をするということから。 「体(からだ)を霑(うるお)し足に塗(ぬ)る」とも読む。

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勢いがあって力強い文章のこと。 「筆力」は文章の勢いや筆遣い。 「扛鼎」は食べ物を煮るために使う青銅の器を持ち上げること。 青銅で出来た重い器を持ち上げるほど、筆力が強いという意味から。 「筆力(ひつりょく)鼎(かなえ)を扛(あ)ぐ」とも読む。

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必要がなく、迷惑なだけなこと。 「附」はくっつくこと。 「贅」と「疣」はどちらもこぶや、いぼのこと 「懸」はぶらさがること。 くっついていたり、ぶら下がっていたりするいぼやこぶということから。 「附贅」は「付贅」とも、「懸疣」は「懸肬」とも書く。

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四字句と六字句の対句を用いる、古代中国の修辞的な文体のこと。 「駢」は馬を二頭並べて車につなぐという意味から、対句という意味。 「儷」は一対になって並ぶという意味。 中国の六朝時代から唐の時代にかけて盛んに使われ、中国の美文の基本となった文体。

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袖が大きくゆとりのある服のこと。儒者の服。 「逢」は大きいやゆるやかという意味。 「掖」は腋(わき)の下のこと。

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人には幸運と不運があることのたとえ。 「茵」は敷物のこと。 「溷」は便所、厠(かわや)のこと。 散った花びらが運よく敷物に落ちることもあれば、便所に落ちることもあるということから。 「茵(いん)に墜(お)ち溷(こん)に落(お)つ」とも読む。

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飾り気が無く、慎ましいことのたとえ。 「藜杖」はあかざの杖、「韋帯」はなめし皮の帯のことで、どちらも質素なものという意味から。

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この上ないほどの贅沢をすることのたとえ。 「鼎」は権威や高い地位の象徴で、祭器として用いられた三本足の器。 「鐺」は三本足の酒を温めるための器。 「玉」は宝玉のこと。 鼎を鐺のように酒を温めるために使い、宝玉を石のように扱うという意味から。 「鼎(てい)をば鐺(とう)のごとく玉(ぎょく)をば石のごとく」とも読む。

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自身を顧みずに他人に尽くすこと。 「摩」は磨り減る、「頂」は頭頂部、「放」は至る、「踵」はかかとのこと。 頭の先から足の踵(かかと)まで磨り減らすほど、他人・周りのために努力するという意味から。

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男性が女性に手を出して、男女の肉体関係にふけること。 「玉」と「香」はどちらも女性のたとえ。 「窃」と「偸」はどちらも盗むということ。 「玉(ぎょく)を窃(ぬす)み香(こう)を偸(ぬす)む」とも読む。 「偸香窃玉」ともいう。

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のびのびとした広い心で小事にこだわらないこと。 「自由」は縛られることなく、のびのびしていること。 「闊達」は広くおおらかな心で小事にこだわらないこと。 「闊達自由」ともいう。

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老人のこと。または、年老いていくこと。 「頭童」は子どもの坊主頭のこと。転じて頭髪が薄くなった頭のたとえ。 「歯豁」は歯が抜けて隙間が多くなること。 「歯豁頭童」ともいう。

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どこにでもいる普通の人のこと。 「張」、「王」、「李」、「趙」はどれも中国の名字で、どれも中国では珍しくなく、最もありふれた名字という意味から。

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愛すること。 親が子を、政治家が人民を、男が女を慈しみ愛することをいう。 「嫗煦」は暖めて育てること。 親鳥が雛や卵を翼で覆って、暖め育てることにたとえた言葉。

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とても苦労しながら仕事に励むこと。または、身分が低く貧しい者が様々な苦労をして難しい物事を成し遂げて、事業を始めることのたとえ。または、無駄遣いをしないように、常に気に留めて生活することのたとえ。 「篳路」は植物の柴を編んで作った、作りの粗い車。 「藍縷」は破れるほど使い古した衣服。

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即興で風や月を題材にした詩歌を作ること。 または、内容のない詩文のこと。 「嘲」と「哢」はどちらも遊び楽しむこと。 遊びで詩文を作るという意味から。 「嘲風弄月」とも書く。

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芸術作品にある、表現できないほどのすぐれた趣のこと。 「神韻」は神業のようなすぐれた趣のこと。 「縹渺」はかすかではっきりとしない様子。 「縹渺」は「縹眇」とも、「縹緲」とも書く。

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読んだ人に害を及ぼす書物のこと。 「屠毒」は害を及ぼすこと。 「筆墨」は書物のこと。

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規律や統率が全くないものの集まり。 「聚」は集まるという意味。 獣のように集まって、鳥のように散るという意味で、獣や鳥が秩序なく集まったり散ったりする様子から。

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必要のない情けをかけること。 「宋襄」は宋の国の襄公という人の名前。 「仁」は哀れみや思いやり。 楚との戦闘で、楚の軍が川を渡っている最中の陣形が崩れたところを攻めてはどうかと、部下に進言された襄公は、人の困難につけこむものではないと言い、攻めずにそのまま大敗したという故事から。

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昼間は農作業をして、夜は勉強すること。または、貧しい生活をしながらも勉学に励むこと。 「昼耕」は昼に農作業をすること。 「夜誦」は夜に本を声に出して読むこと。 「昼は耕し夜は誦(しょう)す」とも読む。

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非常に辛い苦労をすること。 または、苦心を重ねて詩文を作り上げること。 心に彫りつけて骨に刻み込むという意味から。 「心(こころ)に彫(ほ)り骨(ほね)に鏤(きざ)む」とも読む。

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地位の低い役人のたとえ。 「抱関」は門番、「撃柝」は夜警のことで、どちらも地位の低い仕事であることから。

484/557

激しく勢いがあって非常にすばやいことのたとえ。 「霹靂」は前触れもなく急に雷鳴が轟くこと。 「閃電」は雷がきらめくこと。

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正義を貫き通して、節操を守ったまま死ぬこと。 「蹈節」は節操を守ること。 「死義」は正義を守るために死ぬこと。 「節(せつ)を蹈(ふ)み義に死す」とも読む。

486/557

仲のよい友人が次第に少なくなっていくこと。または、歳をとるにつれて友人が死んでいなくなっていくこと。 「晨星」は明け方の空に残っている星。 「落落」は閑散としていてさびしい様子。 夜が明けるにつれて星が一つ一つと消えていく様子から。 「落落晨星」ともいう。

487/557

金属や石が全て溶けて流れるほどの猛烈な暑さのこと。 「鑠」は溶かすという意味から、熱さや火力のたとえ。 十個の太陽が同時に昇って金属や石を全て溶かしたという古代中国の伝説から。

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自分の地位や能力などを理解せず、思い上がることのたとえ。 または、自分の物ならどんなにつまらないものでも貴重に思えることのたとえ。 「弊帚」は使い古してぼろぼろになったほうきのこと。 自分の物ならぼろぼろになったほうきでも千金の価値があると考えるという意味から。 「弊帚」は「敝帚」とも書く。 「千金弊帚(千金敝帚)」ともいう。

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物事の変化が非常に激しい様子。 人生などのたとえとして用いることが多い言葉。 「波瀾」は移り変わりが激しいこと。または、揉め事や争い事などのこと。元々、「波」は小さい波、「瀾」は大きい波を意味する。 「万丈」はとても高いことのたとえ。「丈」は長さの単位。 「波乱万丈」とも書く。

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社会の道徳や規律が乱れること。または、乱すこと。 特に男女の交際の節度のこと。 「紊乱」は乱れる、または乱すという意味。

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食べ物や飲み物が足りないこと。 半分ほど飢えていて、半分ほど乾いているという意味から。 「半飢半渇」とも書く。

492/557

植物の梅の別名。 「萼」は花のつぼみの外側の部分、がくのこと。 「葩」は花のこと。 雪や霜のように白く、寒さをしのいで花を咲かせるという意味から。

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人間の欲望は尽きることがないということ。 「隴」と「蜀」はどちらも中国の地名。 後漢の光武帝が望みを叶えて、隴を手に入れたが、次は蜀が欲しいと望んだという故事から。 「隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望む」とも読む。

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朝早く家を出て、夕方になって帰ってくること。 「晨」は早朝。 野鳥が朝早くに餌を探しに出て、夕方には巣に帰ってくるということから。

495/557

物事にこだわらず、さっぱりとしていて、欲望が少ないこと。 「恬淡」は物事に執着せず、さっぱりとしていること。 「寡欲」は欲がすくないこと。

496/557

美人の艶かしい色目や流し目のこと。 「媚眼」は媚びるような目つき、「秋波」は秋の澄んだ水の波のことから美人の涼やかな目つきという意味。

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乱世を治めて世の中を平和な世界にすること。 「撥乱」は乱世を治めること。 「反正」は乱世になる前の平和な世に戻すこと。 「乱を撥(おさ)めて正を反す」とも読む。

498/557

自分には関係がないものを羨望したり、妬んだりすること。 主に他人の恋愛に対してのことをいう。 「法界」は全ての世界、宇宙万物という意味。仏教語。 「悋気」は嫉妬する心のこと。

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努力を続ければ、能力が劣っていても成功するということのたとえ。 「鼈」はすっぽんのこと。 足の悪いすっぽんでも、歩き続ければ千里の距離を移動することもできるということから。

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たくさんの人たちに恵を与えること。または、恵を与えて救うこと。 「霖雨」は長く降り続く雨という意味から、恵みの雨、恩恵という意味。 「蒼生」は草木が生い茂るという意味から、人民という意味。

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水面が落ち着いていて静かな様子。 「黛」は眉を書いたり、整えるために使う墨で、青黒い色をいう。 「膏」は油。 油で満たされているように静かで、青黒く淀んでいる水面ということから。

502/557

男女の肉体関係のたとえ。また、男女が結婚することのたとえ。 「鳳」と「鸞」はどちらも中国の伝説の鳥。 「鳳」は鳳凰、「鸞」は鳳凰に似ている霊鳥。 それらの美しい鳥の交わりを人の男女にたとえた言葉。 「鸞交鳳友」ともいう。

503/557

一度失敗したことに嫌になり、不必要なまでに注意すること。 「羹」は熱い汁物。 「膾」は生肉を酢につけたあえもの。 熱い汁で火傷をしたことに懲りて、冷たい料理にも息を吹きかけて冷ますという意味から。 「羹に懲りて膾を吹く」という形で使うことが多い言葉。

504/557

失敗や危険を恐れず気力に溢れていて、勇ましい様子。 「凜凜」は勢いが盛んな様子。 「凜凜」は「凛凛」とも書く。

505/557

誰にも縛られることなく、好き勝手に振る舞うこと。 「羈」はつなぐという意味から「不羈」は何ものにも縛られないこと。 「奔放不羈」ともいう。

506/557

儒教、儒学のこと。 「鄒」は孟子の生まれた場所。 「魯」は孔子の生まれた場所。 「遺風」は後の時代に残っている教え。 孟子と孔子の教えという意味から。

507/557

思うまま好き勝手に振る舞うこと。 「放蕩」は好き勝手に振る舞うこと。 「不羈」はなにものにも縛られないこと。

508/557

同じ布団で寝るほどに兄弟や夫婦が仲睦まじいことのたとえ。 「衾」は夜着や掛け布団のこと。 元は夫婦仲がよいという意味の言葉であったが、玄宗皇帝が、息子兄弟が仲良く寝られるように大きな布団と長い枕を作らせた故事から、兄弟の仲がよいこともいうようにもなった。

509/557

何があっても絶対に変わることがない固い誓いのこと。 功労のある家臣に天子が誓う言葉で、いつまでも繁栄させることを約束する言葉。 中国の黄河が帯のように細くなったり、泰山が砥石のように平らになるほどの年月がたっても、功労のある家臣の家はいつまでも途絶えさせないという意味から。 中国の漢の劉邦の制約文、「封爵之誓」の文言。

510/557

次第に死期に近づいていくことのたとえ。 屠殺場に連れて行かれる羊という意味から。

511/557

人や家が一箇所に集まっていること。 「稠密」は隙間がないほどに集まっていること。

512/557

活気に溢れていて、勢いのある様子を世の中に示して威圧すること。 竜は空に躍り上がり、虎は獲物を睨むという意味から。

513/557

激しく怒って、悔しがる様子のこと。 「切歯」は歯ぎしりをすることや歯を食いしばること。 「扼腕」は自身の片方の腕をもう片方の手で握り締めること。

514/557

旅をするときに着る服装のこと。 「青鞋」はわらじ。 「布韈」は脛を保護するために巻く布製の脚半のこと。 「布韈青鞋」ともいう。

515/557

誠におそれてかしこまるという意味。 臣下が天子に自分の意見を述べる時に用いる言葉。 「誠惶」は心の底からおそれかしこまることで、それを強調して丁重にいう表現。

516/557

勢いが非常に盛んな様子。 竜のように勢いよく天に昇り、麒麟のように勇み立つということから。 「竜」と「麟」は竜と麒麟のことで、どちらも伝説上の生物のこと。

517/557

急に雷鳴が轟き渡ること。 または、前触れもなくいきなり大きな声で怒鳴ること。 「霹靂」は前触れもなく急に雷鳴が轟くこと。 「一声」は音が一度鳴ること。

518/557

自身の失敗や負けを認めようとしないこと。 または、何かにつけて言い訳ばかりすること。 西晋の孫楚が「石に枕し流れに漱ぐ」と言おうとして、「石に漱ぎ流れに枕す」と言い間違え、それを指摘されると、「石で歯を磨いて、流れで耳を洗う」と言い、間違いを認めなかったという故事から。 文豪の夏目漱石の雅号「漱石」は、この故事が由来。

519/557

立派で堂々としている文章のたとえ。 「椽」は屋根を支える最も立派で太い木材。垂木。 中国の西晋の時代の王珣は、垂木のような大きな筆を授けられる夢を見て、そのように筆をふるう機会があるのではと思っていると、武帝が崩御して、忌辞などで堂々とした文章を書いたという故事から。

520/557

忙しくて慌ただしい時。または、ごく短い時間のこと。 「造次」は慌ただしい時。とっさの場合。 「顛沛」はつまずいて転ぶことから、ごく短い時間のたとえ。

521/557

人の機嫌をとる卑しい態度のこと。 「俛首」は頭を伏せること。 「帖耳」は耳を垂れること。 犬が飼い主に従う様子ということから。 「首(こうべ)を俛(ふ)し耳を帖(た)る」とも読む。 「俯首帖耳」とも書く。

522/557

自分の信念や持論を無理に変えて、人にこびへつらうこと。 「卑躬」は腰をかがめて頭を下げること。 「屈節」は主義、主張を曲げること。

523/557

大勢の人が一緒に職を辞すること。 「聯袂」は”たもとを連ねる”という意味から、大勢の人が一緒に行動すること。 「連袂辞職」とも書く。

524/557

主君を補佐してうまく国を治める有能な大臣や宰相のこと。 「和羹」は様々な材料や調味料を合わせて作る吸い物のこと。 「塩梅」は塩と梅酢のこと。 国政の執行を塩と梅酢を程よく加えて美味しく仕上げる吸い物にたとえたもの。

525/557

親に誠意をもって尽くし、大切にすること。親孝行すること。 冬には温かく、夏には涼しくして快適に暮らせるようにし、夜には寝具を整えて朝にはご機嫌をうかがうという意味で、子が親に尽くすべき心がけを説いたもの。 「凊」は涼しいという意味。 「定」は寝具を整えてよく眠れるようにすること。 「省」は省みるという意味から、ご機嫌をうかがうこと。 「定省温凊」ともいう。

526/557

弱者が身の程も知らずに、勝ち目のない強者に立ち向かうこと。 「螳臂」はかまきりの前足のこと。 斉の荘公の車に、かまきりが前足を振り上げ、車を止めようと立ち向かってきたという故事から。

527/557

世間のうわさや物議が騒々しく、落ち着かないこと。 「物論」は世間のうわさや物議。 「囂囂」は多くの人が声を出していて騒がしいこと。

528/557

喋りは達者だが、身分の低い人のこと。 「嗇夫」は地位の低い役人のこと。 「利口」は喋りが上手い人。 中国の前漢の文帝が、上林苑の動物園に行ったときに、動物園の帳簿について尋ねても誰も答えることが出来なかったが、口のうまい下級の役人だけが答えることができた。 その喋りに感心した文帝は、口のうまい下級の役人を長官にしようとしたが、家臣に口がうまいだけの男を昇進させると天下の混乱に繋がると諫(いさ)められ、昇進を取りやめたという故事から。

529/557

両親からの恩は非常に大きく、子がどれだけ孝行しても、少しですら報いることは出来ないということのたとえ。 「寸」は長さの単位で、短い長さのたとえ。 「寸草」は、短い草のことで、両親の恩に報いようとするほんの少しの気持ちをたとえた言葉。 「春暉」は春の太陽の光のことで、両親からの恩のたとえ。 短い草がどれだけ孝行しても、春の日の光によって育てられた恩に報いることは出来ないという意味から。

530/557

子孫が繁栄することのたとえ。 植物の「蘭」と「桂」が立派に成長して香り立つという意味から。

531/557

とてもぜいたくなごちそうのこと。または、心のこもったもてなしに感謝していう言葉。 金を炊いて、宝玉を膳に並べるという意味。 「金(きん)を炊(かし)ぎ玉(ぎょく)を饌(そな)う」とも読む。 「饌玉炊金」ともいう。

532/557

戦闘が激しいさま。 兵の武器が乱れ動くという意味から。 「兵戈」は”ほこ”のことから武器という意味。 「槍攘」は乱れ動く様子。

533/557

怒った人やおごりたかぶった人の顔を言い表す言葉。 または、岩石が角ばっていて突き出た様子を言い表す言葉。 「突怒」は激しく怒っている様子。 「偃蹇」はおごりたかぶっている人の様子。

534/557

学問や人格を高めるために努力すること。 「砥」と「礪」と「磋」は磨くという意味。 「切」は骨などを切って加工すること。

535/557

物事の一番重要な部分。 または、仕上げるために最後に手を加える重要な部分。 「点睛」は目を書くこと。 他の部分は良い出来だが、最後の部分が物足りない状態のことをいう。 南朝梁の画家の張僧ヨウが、安楽寺の壁に竜の絵を描いたが、目を描くと絵から出て飛び去ってしまうといって描かなかったが、信用しなかった人たちから、無理やり描かされると本当に飛び去ってしまったという故事から。

536/557

予想外のことに、気が抜けて我を忘れること。 「茫然」は予想外のことに、気が抜けてぼんやりすること。 「自失」は放心してぼんやりすること。 「呆然自失」とも書く。

537/557

特に目立つ長所がなく、役に立たない人のこと。 「冢」は墓のこと。 墓の中の骨のような人という意味から。 中国の後漢の劉備が徐州の長官を辞退して、袁術に任せようとしたときに、孔融が袁術をあざけって言ったとされる言葉から。

538/557

曲がりくねった小さな川の上流に、酒の入った杯を浮かべ、自分の前を流れていってしまう前に詩を作って、杯の酒を飲むという風流な遊びのこと。 「觴」は杯のこと。 「曲水」は曲がりくねっている小川のこと。 中国では陰暦の三月三日に行われた風習で、晋の王羲之が会稽の蘭亭で行ったものが有名。 日本では奈良時代や平安時代に行われ、曲水の宴と呼ばれた。 「曲水流觴」ともいう。

539/557

酒宴で皿や杯が酷く散らかっている様子のこと。 または、酒宴が終わった後の酷く散らかっている様子のこと。 「杯盤」は杯や皿などの食器のこと。 「狼藉」は狼が寝るために敷いた草の散らかった様子のことから、酷く散らかっている様子のたとえ。

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頸(くび)が長く、口がとがっている顔立ち。 「長頸」は長い頸(くび)のこと。 「烏喙」はからすのくちばしのこと。 残忍で疑り深く、強欲な人の顔立ちとされ、苦労をともにすることはできるが、一緒にいても穏やかな気持ちでいることはできないとされる。 中国の春秋時代、越の王の勾践のことを、范蠡が評した言葉から。

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新築の家が完成したことを祝う言葉。 「竹苞」は竹の根のようにしっかりとした下部構造。 「松茂」は松の葉や枝のような上部の造りの見事さをほめ称える言葉。

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酒に酔って足元が定まらずにふらつくこと。 「酔歩」は酒に酔って歩くときの足取り。 「蹣跚」はふらつきながら歩くこと。

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勢いよく濁った水が流れる様子。 「滾滾」は水がいつまでも激しく流れ続ける様子を言い表す言葉。

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中身のない話が長くてしつこいこと。 「縷縷」は糸のように細く長いこと。 「綿綿」は休みなく続くこと。

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故郷のことを懐かしいと思う気持ちのこと。 または、故郷の懐かしい味のこと。 「蓴羹」はじゅんさいの吸い物。 「鱸膾」は魚のすずきのなます。 中国の晋の張翰は、故郷の食事であるじゅんさいの吸い物と、すずきのなますが恋しくなり、官職を辞めて洛陽から帰郷したという故事から。

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世に知られずに埋もれている立派な人物や有能な人材。 「滄海」は大海のこと。 「遺珠」は採集に失敗した真珠のこと。 海の中でどこにあるかわからずに埋もれてしまった真珠にたとえた言葉。

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自然の景色が澄んでいて美しいこと。 「風光」は景色や眺め。「明媚」は景色が美しく澄んでいる様子。

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のんびりとしていて自由なこと。また、細かいことにこだわらず寛大なこと。 「蕩佚」はのんびりと自由で寛大なこと。 「簡易」は細かいことにこだわらず、おだやかでさっぱりしていること。

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とても誇らしそうな様子。 「攘臂」は袖を捲り上げること。 「疾言」は早口で喋ること。

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特に遊女などに身を落とすことをいい、女性がつらい境遇で、見込みもないまま苦労すること。 「絮」は柳の花の綿毛、「花」は女性の形容。 女性の境遇を、綿毛が風に吹かれて目的もなく漂う様子にたとえたもの。

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仰ぎ見て、その良さを羨み、ため息をつくこと。 「瞻望」は仰ぎ見て尊敬すること。 「咨嗟」はため息をつくこと。 「羨望咨嗟」とも書く。

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戦闘が始まる直前のような緊張した状況のこと。 または、書道で筆勢に激しい気迫がこもっていることのたとえ。 剣を鞘(さや)から抜いて、石弓に矢をつがえて弦を引くことから。 「弩」は矢や石を飛ばすことのできる機械、石弓。 「張」は弦を引いて張ること。 「弩張剣抜」ともいう。

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神仏へのお祈りや神聖な儀式の前に飲食や行動を慎み、水で髪や体を洗い心身を清めること。 「斎戒」は飲食を断つなどの戒を守り、心を清めること 「沐浴」は水で髪や体などを洗って身を清めること。 「沐浴斎戒」ともいう。

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明るくて些細なことにこだわらずさっぱりしていること。 「闊達」は些細なことにこだわらないこと。度量の大きいこと。 「闊達明朗」ともいう。

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仲のよい友人が次第に少なくなっていくこと。または、歳をとるにつれて友人が死んでいなくなっていくこと。 「晨星」は明け方の空に残っている星。 「落落」は閑散としていてさびしい様子。 夜が明けるにつれて星が一つ一つと消えていく様子から。 「落落晨星」ともいう。

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喋ることが非常にうまく、流れるように話すことが出来ること。 「弁才」は弁舌の才能があること。 「無礙」は何ものにも妨げられることがないこと。 元は仏教語で、菩薩が仏の教えを他人に説く、すぐれた能力のことをいった言葉。 「弁才無碍」とも書く。

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